寺ネット・サンガ 事務局


「お寺がなくなったら・・・」寺ネット・サンガ「坊コン」

2022-10-20


お寺がなくなったら・・・

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10/17日(月)今年3回目の寺ネット・サンガの「坊コン」が開催されました。

テーマは「お寺がなくなったら・・・」

お寺がなくなったらどんなことが起こるか?今回の坊コンは「寺院消滅」について考えます。

お寺がなくなっても私たちの生活には何も関係ないのでしょうか。

法話は寺ネット・サンガ代表の吉田尚英さん(日蓮宗 永寿院住職)です。

コロナ禍で縮小傾向にあるお葬式や、様々な形態のお墓が出てきた現況を鑑みて、今後のお寺やお坊さんのことについて吉田さんがお話くださいました。



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〇「お寺がなくなったら・・・」吉田尚英さん



全日本葬祭業共同組合連合会の「お葬式に関するアンケート」の結果では、家族葬(参列者が家族、親族に限った葬儀)を希望すると答えた人が66.9%と7割近くあったと佛教タイムズにありました。

高齢化が進んだことやコロナの影響にも後押しされて、葬儀の縮小傾向は高まってきているようです。お寺側もそのことを身近に感じているのではないでしょうか。これらの現状踏まえ、これからのお寺の存続について私なりに3つに分類して整理してみました。寺院消滅?!にならないようにするためには・・・ 参加されたみなさんのご意見とお坊さん側の意見、葬儀社さん側のご意見も交えて話あってみたいと思います。

お寺がないと困る?なくてもいい?

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●お寺がなくても「何とかなる」

お寺というとまず連想されるのが「葬儀」「墓」「法事」「観光」「僧侶」ですが、昨今の儀礼の簡素化や供養の多様化の中で、お寺がなくても「何とかなる」と思う方もいるのではないでしょうか。



葬儀は直葬、火葬できれば良いし、お墓は永代供養墓や散骨、樹木葬など遺骨を処理できれば良しとするため、安価に走る傾向に。法事は墓参りをすればよいのでわざわざお坊さんに読経してもらわなくてもいい。観光や文化的なことに関しては、建物や境内が安らぐ風景として残っていれば良いし、仏像や絵画は博物館で見れば良い。そして、僧侶というのはお金もうけのことしか考えていないから不要だと思うようになるかもしれません。



また、アンケート結果では、葬儀社に「価格の明瞭さ」を求める人が多く、その中身はお布施も含まれているとみられます。お寺への布施が高いという印象があるということが「お坊さんはいらない」につながっている。そこからさらに「お寺がなくても何とかなるよね」と感じている人もいる。それに気が付いてないのはお坊さんの側ではないでしょうか。



江戸時代、お寺に民衆の管理をさせていた「寺請け制度」に始まる檀家制度にのっとって寺の運営をしていることや、明治以降の「家父長制度」では「先祖代々の墓を護るのは当然」という意識が

希薄になっていることも要因ではないでしょうか。





●お寺(神社)がないと「ものたりない」

その一方で、お寺や神社には宗教的な役割があることを重んじ、季節ごとのお祭りや年中行事、祈願や祈祷などを大切に感じている人々がいます。

自然を相手にしている農業や林業、漁業などに従事する方々は神頼みの部分が多分にありますから、収穫祭をしたり、山鎮めなどの儀礼の場所としてのお寺や神社が必要だったのです。それによって地域のコミュニティが成り立っていたわけですが、第一次産業に携わっている人口も減り、お祭りを存続することさえ難しくなっている地域もあります。



お正月には寺や神社にお参りに行き、お彼岸やお盆にお墓参りに行く人も多くいます。日本人は「信仰をもっていないが宗教的な心は大切」であると感じている人が多いので、お寺(神社)がないと「ものたりない」と思うのでしょう。日本人特有の宗教観や八百万の神を感じてきたDNAの影響もあると思います。また、最近ではスピリチュアルに関心を持つ若者も増えているといわれています。



池上本門寺では、日蓮聖人のご命日に報恩感謝の祈りを捧げる「お会式」という行事があります。例年は池上駅から本門寺まで露店が並び一晩で30万人もの人が繰り出していたのですが、ここ2年間はコロナ禍で露店は出店せず、お寺で檀信徒と法要のみを営んできました。

今年のお会式も縮小開催で、池上駅から山門までの露店は控え、本門寺の境内のみに露店を出す形で行われました。するといつもは町中の露店に繰り出していた人たちが境内に集まってきたので、満員電車のような状況になってしまいました。



もともとお寺や神社の大きな行事や縁日は、江戸時代から続く娯楽の一環であったわけですから、信者でなくともそれらを楽しみにしている人もいるのです。本来のお祭りの意味や儀式の理由などを知らないまま「お祭り」として楽しむのも良いのですが、せっかく集まった大勢の人たちに行事の意味や儀式の様子を伝えていくのが、僧侶の役割であると思います。





●お寺がないと「困る」

お寺は道徳観や死生観、先祖観、家族観などへの影響が大きい存在です。仏の教えに基づいた人生の道しるべを求める人にはそれらを示すことも大切ですし、歴史的には信仰に基づいた行事や文化などを正しく伝える役割を持った側面もあります。

修行をしたい方にとっては仏の存在を意識しながら心身の鍛錬を積む場ですし、亡くなった方の鎮魂や追悼には人知を超えた仏の存在が必要です。



仏教は仏に成る教えです。仏教を伝えるお寺がなくなると、皆が仏に成れなくなってしまいます。そして鬼が跋扈して世の中が荒れ果てます。お寺の本来の役割に皆が気が付かなければならない時なのです。原点に戻り、みんなで仏に成る道を歩んでいきましょう。

寺がなくなったら・・・意見交換

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法話のあとは休憩をはさんでグループに分れてのディスカッションをしました。

今回も僧侶と葬儀関連業の方の出席もあり、専門家のリアルな感想を伺うことができました。

お坊さんのマイナスイメージがマスコミなどで伝えられることが多い昨今ですが、一般の人達の中にもお坊さんや葬儀社への不遜な態度をする方もいらっしゃるとのことでした。そのほか、どうやったらお寺を存続できるかについて話しあった結果を出し合いました。



・高齢の檀家さんに向けて紙ベースでの発信はしていたが、下の世代には伝わっていなかった。(坊)

・SNSを利用したお寺側からの頻繁な発信を継続することも大切だと思う。(談)

・若い人に向けてインスタグラムを利用してみるのもおすすめ。(談)

・世代間の感覚のズレが引き起こす墓離れの例があった。(葬)

・墓離れをしようとしていた檀家さんの世代交代があったが、真摯に話をしたら撤回してくれた。(坊)

・神社と寺で存続の仕方も違う。(坊)

・よりどころとしてのお寺の存在を求めている人も実際にいる。(坊)

・お寺がなくなる=伽藍がなくなることと思うと寂しい。(談)

・有名寺院でサラリーマンが伽藍で座禅をしていたりする姿を見た。心を整える場としていると思った。(談)

・修学旅行生などの中には拝観に来ても手を合わせない子もいる。普段から仏壇に手を合わせることを大切にしてほしい。(談)

・先祖供養などが身近な家庭とそうでない家庭でも子供の態度は違うと思う。(談)

・お寺といかにかかわりを持つかが重要だと思う。(坊)

・「教化は回数である」という結果を出した宗派もある。お宮参りとか建て前儀式とか折につけお寺を関わるようにしたらいいのでは。(坊)

・お彼岸にはなるべく玄関にいて墓参にきた親せきの方となるべく話をする機会を大切にしている。(坊)

・子どもがいないなど、一軒でもお墓を複数持つ場合もあり、そういう事情から墓じまいを余儀なくされる人もる。(談)

・墓じまいの話から・・・都内の火葬場と地方の火葬場に金額の違いがある。(坊)

・「お骨」とか「墓」の物体を拝むのではなく「魂」を重んじるようになるとお墓の存在が薄くなるのかな。(談)

・お骨やお墓に対して執着しなくなったので、気持ちの中で済む。それがお寺離れになってしまうかも。(談)



★(坊)僧侶(談)一般参加者(葬)葬儀関連業者

毎回率直な意見が出る「坊コン」ですが、今回もそれぞれの立場による経験談が披露され、参加者の皆さんも驚いたり、感心したりと様々。

意義のある意見交換の場となりました。


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