寺ネット・サンガ 事務局


仏教的断捨離~寺ネットサンガ「坊コン」

2016-09-14


こころの垢おとし~仏教的断捨離

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寺ネットサンガが主催する、色々な宗派のお坊さんと気軽に話が出来る場「坊コン」が2016年9月12日(月)に日本橋ウィズ・ビジネスセンターにて開催されました。



宗派に関係なく仏教について語り合うことができるとあって毎回人気の「坊コン」です。

今回から始まる新テーマは「心の垢おとし 仏教的断捨離」

副題として “執着無くせば楽になる!執着なければつまらない?!あなたは何を捨てますか?”



お話しくださったのは、浄土真宗本願寺派 延立寺住職 松本智量さんです。

哲学的な解釈を得意とする松本智量さんが、仏教という切り口から断捨離を語ってくださいます。

今回は女性の参加者が多く、「仏教的断捨離」という題から興味を持って参加された方もいたようです。

「仏教的断捨離」松本智量さんのプチ法話

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2010年に流行語大賞にもなった、やましたひでこ氏の唱える「断捨離」。仏教に近いこの「断捨離」という考え方を手掛かりにして“仏教的断捨離”を考えていきたいと思います。

断捨離の「断」とは入ってくるものを断ること。「捨」は勿体ないという気持ちをわきに置いて自分に必要のないものを捨てる。「離」は執着から離れること。



「断」というのは、実は仏教的な言葉ではないのです。仏教では基本的に「断らない」。断食というのは仏教の中でもイレギュラーなものです。

お釈迦さまは、悟りを開く前に断食という行をされて、結局はその断食を捨てて悟りを開かれたという歴史的な事実があります。

仏教では頂き物はすべて有り難く頂きます。これが仏教の基本なのです。

「いやいや、食べてはいけないものもあるでしょう?」

と思う方もいるかもしれませんが仏教にはそういう戒律などはありません。肉を食べてはいけないなどということもありません。

お釈迦さまが亡くなられたのは80歳と言われていますが、老衰ではなく実は、食あたりだったと言われています。頂き物をを食べたことにより食あたりで亡くなったのです。

このことから考えるには、つまりは死に様にとらわれないということではないかと思うのです。

どういう死に方が良いとかもないのです。それは執着にとらわれないとこにも繋がります。



「捨」というのはだんだん仏教に近づきます。「捨てる」の中には「捨身」わが身を捨てるという言葉があります。この言葉は一方で、プラスの意味を持った「生かす」という意味もあります。「喜捨」という言葉も前向きに喜んで捨てることです。



「離」は仏教で最も大切なものです。執着から離れることは仏教ではあるひとつの「目的」でもあります。私たちは生きている以上「執着」を捨てることができません。執着は私たちにとって絶つことも出来ない、捨てることも出来ない。だから執着は「離れる」ものなのです。

執着とは「何かに縛られていること」でもあります。何かとぴったりくっついていないと私たちは幸せを感じないんですね。それは執着していることにつながるのです。消すことのできない執着はそこから離れるしかない。



断捨離で周りのものを減らして、自分にとって本当に大切なものを見極めていくというのは、非常に自立した人間像を感じます。世間ではそういったことが求められる向きもあるのでしょう。

「断捨離」という考え方はなんとなく自分の周りのものをコントロールしていく、整理していくことを良しとしていますが、一方で、いろいろなものにこだわってみる、周りに流されてみることも、一つの趣き深い考え方なのではないでしょうか。



「松本智量 プチ法話 仏教的断捨離 より」









「仏教は“しあわせ”を身に着けるためのものです。一般には「幸せ」と幸の字を使いますが、仏教では”仕合せ”と書きます。”仕合せ”とは人と人とが出会うという意味です。本来の”仕合せ”の意味を中島みゆきさんの『糸』という歌の歌詞から感じることができます」と、松本さんが『糸』を歌い出す一幕も。

最近観た映画「シン・ゴジラ」に感動して、ご自身が中学時代に観た「ゴジラ」を再び観たらほとんどのシーンを忘れていたという話なども飛び出し、皆さん大笑い。昔観た映画を新鮮に感じた自分に「忘れる」こともいいことだなと思ったそうです。

「忘れる」ということは自らの意思とは関係なく起きるものです。「忘れる」ことも少し断捨離に繋がっている気がすると松本さんはおっしゃっていました。自分の意思からではないけれど、人は脳から記憶の断捨離をしているのかもしれません。お話を伺っていてそんなことを思いました。





お坊さんを交えてグループディスカッション

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「捨てられないもの・捨てちゃったもの・捨てられちゃったもの」というテーマでグループディスカッションをしました。グループに必ず一人はお坊さんが入ります。気軽に話し合えるグループディスカッションですが、話したくない場合はパスが出来るルールがあります。各グループごとにお坊さんが意見をまとめて発表しました。



・思い出の詰まったものは中々は捨てられない。子供のものや、昔やっていたスポーツ用品など。

・一番捨てられないものの大半が「本」である。

・仕事の上での資料はなかなか捨てられない。逆に、仕事を辞めたとたんに捨てられることから実は仕事に執着があったのかなと思った。

・紙ベースのものを捨てたとしても、PCの中にデータにして残っていたりするので、捨てているようで実は捨てていないのではないか。そこに執着があるのでは。

・大災害などがあると自分の意思で捨てるんじゃなく、捨てさせられることになってしまった人達の気持ちとはどんなものだろうと思う。自分がその立場にならないとわからないと思う。

・捨てちゃったものは思い出し難い。物そのものへの執着は捨てた瞬間に忘れてしまっているのではないか。

・断捨離は自分の死後に恥を残さないという意味もある。生への執着は死への恐怖でもあるのだろう。

・なんでも取っておく傾向があるのは男性に多いのではないか。女性の方がきっぱりと捨てられる人が多いかも。

・仕事や研究なのでのデータは大切にしているので捨てられない。

・身内の着物など想いれのあるものが捨てられない。

・自分以外の家族のものや、本などは捨てやすい。

・人間関係は距離的に離れると自然に希薄になっていく。

・捨てたいものは「人間関係」や「煩わしい仕事」

・自分のやりたいことのために“親の望み”を捨てた。

・昔は写真をアルバムにするなど捨てられないものだったが、最近はデジタルになり捨てるのも簡単になった。



捨てたいものは「映画の半券」や「本」などの物理的なものから「人」や「人間関係」までと、なかなか深いご意見も飛び出していました。







○お坊さんへの質問コーナー

普段聞きたくてもなかなか聞けないことをお坊さんに聞いてみようという質問コーナー。

Q.仏壇って捨ててもいいの?

A.昔はなかったけれど、「仏壇を処分してほしい」と言ってお焚き上げを希望する人は最近増えてきています。

A.小さい仏壇にならお焚き上げできますが、大きいものは小さくするなどしてお寺で処分しています。



寺ネットサンガでは今後も宗派を超えた「坊コン」を開催していきます。「坊コン」の後はお坊さんと気軽にお酒を酌み交わすことができる懇談会も開催されます。興味のある方は是非、坊懇にも顔を出してみてはいかがでしょうか。


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