石材店さんの考える「供養」	石材店の目で考える『供養』

石材店の目で考える『供養』

お坊さんと直接語り合える場「坊コン」が2016年7月26日に開催されました。『こんな供養は○○だ!第2弾』前回の葬儀社さんに続く今回は”石材店さんから見た供養”です。
お話くださるのは、有限会社篠田石材工業 代表取締役の篠田雅央さん。代々伝わる藍染の半纏を着て登場くださいました。お墓を立てることに直接かかわる石材店さんならではの視点から、最近のお墓の現状や供養についてお話しいただきました。
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《「石材店の目で考える供養」㈲篠田石材店 代表取締役 篠田雅央さん》

篠田さんのご実家は創業明治22年の老舗の石材店。代々、埼玉県の三郷の地で石材店を生業としてこられました。平成4年にお父様の後を継がれ、㈲篠田石材店の代表取締役に就任した篠田さんは営業はもちろん、墓石のデザインから設計、加工までもこなします。なかでもオリジナルの墓石デザインが得意で、デザイン墓石コンテストで数々の受賞をされていらっしゃいます。
お客様の希望や想いを伺いその人らしい特別なデザインの墓石を考え、そして墓石を見たお客様が感動してくださるのが一番うれしいと篠田さんは言います。その中でも特に思い出深い墓石デザインのエピソードを紹介くださいました。

篠田さんは「このような特別なオリジナル墓石や想いを墓石に彫ることも、もしかしたら『供養』の一つになるのではないでしょうか。石材店の私が思う供養とは・・・『お墓を作ること』なのではないかなと思います。お墓にご遺骨があることで、故人との絆だったり、何かつながるものがあると思うのです」とお話しくださいました。

そのほか、石材店さんの立場から多くの葬儀・法事を見てこられた経験談や、50回忌をされた際に当時土葬された遺骨を掘り出しお墓を新しく作った方のお話を、その遺族の方が作った法事の写真集を回覧しながらお話しくださいました。

 お骨となってお墓に入っても、故人がそこに存在しているという事実が、遺族にとっては癒しとなり、お墓が故人とのつながりを確かめる大切な場になると篠田さんは思うそうです。
確かに私たちがお墓参りをする時には、そこに故人がいるかのようにお墓や墓石に向かって話かけたりする行為を自然にしています。
故人となっても何処か別の次元にいるような気がしてしまうのは、日本人の死生観からのものなのでしょうか。それとも世界中の多くの人が持つ死生観なのでしょうか。
前回の葬儀社さんの考える「供養」のお話もいろいろと考えさせられましたが、石材店さんの考える「供養」のお話も大変興味深いものとなりました。

石材店さんの考える「供養」	グループディスカッション お坊さんと一緒に考えよう!

グループディスカッション お坊さんと一緒に考えよう!

寺ネットサンガの坊コンでは、お坊さんと気軽に話し合えるディスカッションタイムがあります。参加者は3~4名のグループに分かれますが、そのグループの中には必ずお坊さんが一人以上入ります。そのお坊さんがリーダーとなってテーマについて話し合うという趣向です。
ディスカッションでは、あまり話したくないなという人は無理せずにパスしてもいいというルールがあります。

今回のテーマは「あなたはなぜお墓参りをするのですか?」また、「子供の頃と大人になってからのお墓参りの違いは?」について話し合いました。

・お墓参りをすることで自分の家系を考えるきっかけになる。

・お墓は長男が守るというイメージがあり、将来の墓守はどうなるのか考える。

・お墓は自分の生きた証として何百年も残っていく。硬い石に刻まれた戒名を残すか残さないかはまだ若いのでイメージできない。

・地方の実家に帰ると必ずお墓参りをする。逆にお墓があるから里帰りをするようになっていて、自分のアイデンティティに繋がっている。

・子供の頃は親に連れられてお墓参りに行っただけだったが、大人になって近親者が亡くなったりすると、お墓参りに拠り所を求めたりお願いをしに行ったりするようになった。

・お墓参りに行った際、菩提寺の住職から「自分の家のお墓参りの前に本尊を先に拝みなさい」と言われたことがある。自分としては腑に落ちなかった。

・結婚で違う宗派のお墓参りを経験してその違いに気が付いた。

・宗派による解釈の違いから、親族の中でトラブルになったこともあった。

・お墓参りに行くのは信仰心からというよりも家族に会いに行くという感じ。

・子供の頃は会ったことのないご先祖様に会いに行くイメージだったが、大人になり自分が知っている人が眠っているお墓は「いろんなことを思い出す場所」になった。ご先祖や故人に「会いに来た」という感覚になった。そういう点では仏壇とは違って、そこに行けば会えるというような感覚がお墓にはある。

・仏壇があればお墓詣りに行かなくてもいいかな思う。

・お墓詣りで献花するのも、故人やご先祖様が寂しくないようにと思いながらしている。

・お墓詣りに行くことで、自分自身のルーツやご先祖様とのつながりに感謝をするようになる。

・大人になってからは、お墓にいる方達のおかげで今の自分があると思うようになった。

などの意見が出されました。
サンガの参加者の多くはお墓参りに意味を持たれて行かれているようでした。皆さんの話を伺っていて、子供の頃から親に連れられてお墓参りをする体験も大切なの事ではないかと感じました。子供時代にはなんだかわからずに、ただ親に付いて行っているけれど、「ご先祖様」がいるお墓とお寺があるということを経験として持つことで、お墓の存続にもつながっていくと信じたいものです。

質問コーナー&お坊さんとの意見交換会

Q.お墓参りよりも本尊を先に拝むべきと言われたという話ですが、お坊さん方の意見は?

A.自分のお墓参りだけをするのでは霊園と同じ。お寺は墓守ではない。信仰をつないでいく一つの手段としてお墓があるのだから、まずは信仰対象である本尊をお参りするべきである。

A.亡くなった方は仏様の元へ行っているので、ご本尊様に先ず「いつもお世話になっています」とご挨拶に行ってからご先祖のお墓参りをするのが順序だっている気がします。

A.私のお寺では、寺ができる以前から地域の霊場だったこともあり、寺内には宗派が違うお墓が結構あるんです。
基本的には本尊を拝んでからお墓参りをするのでしょうが、宗派が違う方もいるのでそういったことで強制はしていません。ですが、ほとんどの方は本尊にご挨拶をしてからお墓参りをしているように見受けられます。

○まとめ
「お墓参りに来る方に接していると、必ず月命日にお墓参りに来る方も多いです。亡くなった伴侶へ花を手向けに来る方や、お子さんを亡くされた方が会いに、毎月お参りする方のうしろ姿は美しいです。故人はとても愛されているのだなあと思います。その反面、雑草が生え放題になっているお墓もあり、お墓を見ればその家がわかります。お墓というのは生きた証でもあり、遺された人に生き方も伝わるものだなという気がします。」とあるお坊さんがおっしゃっていました。


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さて、
寺ネットサンガ発足当初から事務局長としてサンガに貢献してくださった青木和広さんが日本を離れることになりました。名司会でサンガ「坊コン」を進行してくださった青木さん。サンガでお会いできなくなってしまうのは残念ですが、カナダでも益々のご活躍をお祈りして止みません。

寺ネット・サンガ通信 第14号に掲載くださった青木さんの言葉です。(一部を抜粋)

「出会いの場、気づきの場、救いの場として毎月のようにイベントを行い、お寺やお坊さん(牧師他宗教者含む)の意外な一面も垣間見ることができました。
初期のころ、個人的にお坊さんはもっと怖い存在だと思っていましたので、お坊さんも悩んで、お坊さんも一緒になって学び、お酒やたばこを嗜むことを知った時には「おお、お坊さんも人間なんだな~」と驚いたものでした。
・・・坊コンのプチ法話を聞くことで「あの世からみた自分の人生」という視点や、『家族や社会とのつながりを持っている自分が言えるわがまま』という(例えば、骨は海に撒いておけばいいという希望は身内のためになるのかなどの)視点からも【自分本位であった】ことに気づき、特に家族を持ってからはサンガの学びに救われた思いがしています。
・・・せっかく仲間にしていただいたご縁ですので、海外からも陰ながら応援していたいと思います。サンガと皆さまに心から感謝を申し上げます」

次回の坊コンは9月12日予定。
イベントは寺ネット・サンガの新企画「心のマッサージ」。プチ法話とプチ修行でストレスフリーの境地に?!8月22日(月)をお楽しみに!


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