お坊さんと今年を振り返って
2023年12月4(月)東京駅前の貸会議室にて寺ネットサンガの今年最後の坊コンが開催されました。早いもので2023年もあとひと月で終わります。今回は「ゆく年くる年」と題して、浄土真宗本願寺派、松本智量(まつもと ちりょう)さんが、一年を締めくくった法話をお話くださいました。映画や音楽に造詣が深い松本さんが語る2023年とは・・・。
【今年を振り返って~浄土真宗本願寺派・松本 智量】
「先ずは、今年亡くなった方々を思い返してみようと思います・・・」と宗教界、音楽界、文学界での著名人のお名前を数名挙げられました。松本さんにとっては、その中でも特に山田太一さんの死がショックだったそうです。
週に1冊は本を読み、ドラマや映画をこよなく愛する松本さんは、若い頃から山田太一さんが大好きで、最も影響を受けた一人でした。
「特に『男たちの旅路・車輪の一歩』は衝撃的でした。“人に迷惑をかけるな”ということが常識だったその頃の世間に対し、それは間違いだと言い切ったのです。『人に頼らないと生きられないのなら人に迷惑をかけていいのだ』と。人に頼って生きていくことを障害者が引け目に感じてしまう現状を、社会への問いかけとして語る様に驚きました。しかも50年前の話ですから、すごいことです」
そんな山田太一さんが書いたエッセーを読んだ松本さんはお坊さんとしての在り方の光を得ます。
「山田太一さんはエッセーのなかで、僧侶に対しては何の期待ももっていない。通俗的な道徳話、あるいは身に響かない話ばかり聞かされてきた。けれど、ただ一人感銘を受けた僧侶がいたとありました。それは、ある法事で出会った認知症かと思われる老僧でした。法話は脱線するし何度も繰り返されるその老僧の話を皆じっと聞いている。やっと総代らしき人が「和尚、もういいでしょう」というと、その老僧はすっと話を止めた。山田太一さんはそんな姿を見て頭が下がる思いだった、と書いていました。
このエッセーを読んだときはもう40代になっていましたが、自分も上辺だけの話しかしてなかったと気づきショックを受けました。山田さんが感銘を受けたという老僧は、飾らず自分の老いる姿をさらけ出して“老いとはこういうものだ”と現していた。私はわが身をさらけ出せているだろうか?
素の自分をさらけ出して自分がここにいるんだと言うことをちゃんと示せる・・・それがお坊さんとして生きるっていうことなのではないか。
なかなか難しいことであり、今でも出来ていませんが、少しでもそんなお坊さんに近づきたいと思っています」
仏教とは媒介物である
「事実を事実としてなかなか受け止められないのが私達です。だから苦しむ。「ラ・ロシュフコー箴言集」(岩波文庫。講談社学術文庫などから出ています)に、『人間が直視できないものは二つある。それは「太陽」と「死」だ』とあります。でも実は、媒介を通してなら見えるのではないかと私は思います。太陽はサングラスをかければ見られる。そして、死は・・・宗教(葬式)を通してなら見ることが出来る。
葬式とは亡き方を送り出す為の亡き方を弔う場ですが、死を直視出来る、死を受け止められる装置としての儀式ではないかと思うのです」
松本さん曰く、「宗教(仏教)とはメディアである。メディアとは仲立ちするものであり、媒介物だ」と。
「生老病死」は人間生活において、自分の見たくないものであり、思い通りに行かないものとして挙げられます。「生」は生れ出た苦しみを指します。なぜ自分はここに生まれたのか?なぜここにいるのか?ということです。そして、老病死も誰もが避けられないものです。これらの直視できない現実は、媒介物を通して見ることで新たなモノの見方が出来るようになる、と松本さん。
「今日は、カメラを通して自分の両親の姿をドキュメンタリー映画にした信友直子さんと、自分のペンの力で父の認知症と向き合った高橋秀実さんをご紹介しましょう」と二つの作品を紹介くださいました。
髙橋秀実さんは『おやじはニーチェ―認知症の父と過ごした436日―』の著者。認知症の父の介護に戸惑う高橋さんが、その現実を文章に書くことで認知症の父を直視できるようになります。認知症の父の言葉を難解な哲学のように感じた高橋さんは、ペンの力を媒介してお父さんを理解していきます。松本さんは高橋秀実さんとお父さんの会話の一節を読み聞かせて下さいました。面白可笑しい、ちぐはぐな会話の中に、父への溢れる愛情が籠った高橋さんの文章は、まるで不思議ワールドのファンタジーの様に思えました。
信友直子さんは『ぼけますからよろしくお願いします』というドキュメンタリー映画の映画監督さん。
老いや看取り、介護などがテーマのドキュメンタリーですが、ほっこりと温かい気持ちにさせる映像です。フジテレビでカメラマンをしていた彼女は、両親の老々介護の様子を撮影することで、死へと向かう二人のそのままの姿を撮影していきます。まさにカメラを媒介物として、両親の日常生活を綴っていきました。
「お二人とも、ある意味では職業という特殊な能力が媒介となって現実との仲立ちを果たしています。彼らはそういう能力を持っているけれど、持っていない人でも宗教が仲立ち出来ると思うのです。わたしにとっては南無阿弥陀仏が現実との仲立ちをしてくれます。」と松本さんはおっしゃいました。
お坊さんを交えたディスカッション
休憩のあと、お坊さんを交えたディスカッションです。
今日のテーマは「亡き人を偲ぶー心に残る言葉、影響されたこと」と「亡き人を媒介として教えられたこと」についてです。
小グループに分かれるとそれぞれテーマも異なりますが、皆さんそれぞれの思いを話してくださっていたようでした。現在進行形で認知症の親を抱えている方や、家族を亡くして間もない方、そして、亡くなった方との思い出など話は尽きないようでした。
今年最後の「坊コン」いかがでしたでしょうか?
今回二回目の参加というSさんに感想を伺うと、「前回もそうでしたが、今回も参加してよかったです。なんだか気持ちがふわっと軽くなりました。偶然ですが、私の父も認知症の診断をされていて、自分にされたようなお話でびっくりしました。」とお話くださいました。
初めて参加された方も、「ディスカッションでは、人に話せずにいたことを話せたのでうれしかったです」との感想でした。
信友直子さんの映画『ボケますからよろしくお願いします』はアマゾンプライムで配信中。
髙橋秀実さんの本『おやじはニーチェ―認知症の父と過ごした436日』
年末年始のお休みの間にでも、是非ご覧になってはいかがでしょうか。
坊コン
寺ネットサンガ 松本智量