プチ法話「冥途の土産」
宗派を超えてお坊さんと仏教について気軽に語り合える「坊コン」が、2018年12月11日(火)に日本橋のルノアール貸会議室にて開催されました。
今回のテーマは「冥途の土産」、まずは寺ネット・サンガの吉田尚英代表(日蓮宗永寿院住職)のプチ法話です。
「初七日から始まり順次お裁きが行われ、よい判決が出るようにと遺された人たちが供養の思いを届けるのが中陰法要。旅先で受け取れるように旅費を送金するような感覚で、『土産』というより『餞別』でしょうか?」
という投げかけに始まり、「土産」の語源、「餞別」と「餞(はなむけ)」についてのお話がありました。
しかし、「お葬式は、死者を送る儀式ではあるが、お祝いや励ましを込めて送り出すシーンではないので、『はなむけ』『餞別』より、『たむけ』「回向」のほうがふさわしい」と説明されました。
また「冥途の土産ハラスメント」について書かれた週刊誌の記事を紹介し、高齢者たちが「冥途の土産にするから」といワガママを押し付ける「冥ハラ」には、「生きた道を認めてほしい」というワガママの根底にある思いに寄り添うことが大事ではないかと伝えてくれました。
そして、「先ず臨終の事を習うて」という日蓮聖人のお言葉から、人の寿命はいつ散ってしまうかわからないものであるから、まず臨終のことをよくわきまえて、その後で他の事を考えるべきである。老いも、若きも関係なく、思い立ったら土産の支度をいたしましょう。「いつやるか?今でしょう!」とハッパをかけられました。
「冥途の土産」が用意できなかった方には、餞別(手向け)も用意されています。
それが葬儀の際に導師が読む引導文です。
日蓮宗の引導文には、「艮(うしとら)の廊(わたりどの)にて尋ねさせ給え。必ず待ち奉るべく候」という一節があります。あの世に行っても日蓮聖人を訪ねてくれば大丈夫という意味で、これ以上の安心を与えてくれる餞別(手向け)はないでしょう。
ただし、その日蓮聖人のお言葉を信じ切れるかどうかは、生前の信仰次第ということになります。餞別を受け取るにしても、それなりの準備は必要です。
どうぞ仏道修行にお励みください。
とまとめられました。
坊コン談義 「冥途の土産」
法話をヒントに「冥途の土産」について感じたことをグループディスカッションで語り合いました。
・土産というより閻魔様への賄賂か?
・先に逝った人への土産話を
・ご先祖さまに子孫が元気でいると伝えることが土産
・亡き祖母は元気な時ほど「冥途の土産」という言葉を使っていた。
・年齢を重ねたからこそ言える心の叫びが冥途の土産では?
・「イケメンのお医者さんに診て欲しい」など最終的には異性に対する本能か?
・気に入った遺影を選ぶのも冥途の土産か?
・逝く人の置土産もあるのでは?
・突然死の父に、母がお坊さんと七日ごとの中陰法要をおこなっていた。
手ぶらで逝って、自分で土産を用意していなくても、何とかなるような気がした。
・充実した人生を送ることが、自分にとっても、遺される人にとっても、いい土産になるのでは?
・エンディングノートに無理な希望を書き残すのは、「負の土産」「エンディングノート・ハラスメント」となるのでは? 「あくまでも希望」「無理して事項しなくともよい」とエンディングノートに書き添えることも大事な置土産になる。
日常いう考えることがない死後のことについて考える良い機会になりました。
今年最後の坊コンの後は、お坊さんと念じ合う「坊念会」を居酒屋で開催。
来年も寺ネット・サンガをよろしくお願いします。
坊コン
坊コン
冥途の土産 餞別