日蓮という人がいた~寺ネットサンガ「坊コン」日蓮の生涯

日蓮の生涯

令和元年7月22日(月)、寺ネット・サンガ坊コン」が日本橋のルノワール貸会議室で行われました。
宗祖シリーズ第2回は「日蓮という人がいた」をテーマに日蓮宗の吉田尚英さんのお話です。

まずは、イラスト付きのスライドで日蓮の生涯について解説がありました。

誕生から、仏教の学び、法華経との出会い、そして、数々の法難から入滅までの波乱の道のりを年代に沿って説明してくださいました。

・1222年 安房小湊にて誕生 
・15歳 出家得度 
・20歳 比叡山遊学 
・31歳 立教開宗(初めてお題目を唱える)

・38歳『立正安国論』を述作、以降四大法難に遭う
・38歳 松葉ヶ谷法難
・39歳 伊豆法難 
・42歳 小松原法難 
・49歳 龍口法難

・49歳 佐渡流罪(流罪中に教義が深まる)
・52歳 身延入山(弟子の育成と信者の教化に励む)
・蒙古襲来(文永の役) 
・59歳 蒙古襲来(弘安の役)
・1282年 60歳 池上にて入滅

日蓮という人がいた~寺ネットサンガ「坊コン」日蓮を知るためのキーワード

日蓮を知るためのキーワード

生涯の説明のあとは、日蓮についての大事なポイントである
「遺文」「他宗批判」「法華経」の3点を細かく説明していただきました。

①遺文  
日蓮の著作・書状など直筆が現存するものは五百余点。
書状のやりとりが唯一の情報伝達手段であった当時、日蓮がいかにその教えを広めようとしていたか、
そして日蓮滅後の先師がそれらを遺し、後世に伝えようと努力したがうかがわれる。

日蓮遺文は日蓮の思想・教義・生活・行動等を明らかにする基本的文献であり、当時の政治・社会・文化を考察 する上で貴重な史料でもある。

遺文は、真筆・写本・刊本として伝来されてきた。
日蓮没後、教団は本弟子六人によって運営され、諸師が各地に信徒をつくり、それを組織化するに従い信徒集団が形成され、門流が形成されていくなかで、遺文が伝えられていく。
日蓮の伝記もまた、遺文をベースに伝説的事柄が盛り込まれ、絵巻物や説教として信者に伝えられてきた。


②他宗批判  
・日蓮の諸宗批判を標語化した「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」を『四箇格言』という。
・世の中が乱れる「末法」には誤った教えを断固批判して、正しい教えに導く「折伏」に限る。
折伏の際に反感を持たれたとしても、相手の心に「南無妙法蓮華経」の良薬の種を植え付けることができる。
それによって仏道に入る縁が結ばれることが大事だと日蓮は主張する。
末法の衆生を救いたいという信念と、その役目を負うのは自分であるという自覚が日蓮を支えであった。
・しかし、その主張により、念仏者や禅の信者から迫害を受け四大法難に遭う。


③法華経
・釈尊滅後約500年、上座部仏教と大乗仏教を融合し、全てを救うことを主張する『法華経』が成立。
上座部等の様々な修行者の悟りへのいざない(二乗作仏)と、数多の仏やバラモン・ヒンズーや西洋の神々の統合(久遠実成)が法華経の二大テーマである。
・そのテーマを「南無妙法蓮華経」の七字に集約したのが題目であり、日蓮によって法華経の世界観を図解したものが「大曼荼羅本尊」である。

日蓮という人がいた~寺ネットサンガ「坊コン」まとめ

まとめ

仏教のおおもとである古代インドの釈尊や、大乗仏教成立後の大陸などでの法華経編纂者、そうして、日本の鎌倉時代の日蓮。

それぞれの時代において、仏の教えを統合し、皆が仏に成れるようにと努めてきた人たちです。
しかし、いつの世も門流・宗派・宗教の分裂・乱立を繰り返してきました。

吉田さんは、
「現代、法華経の精神をよみがえらせるのは誰か?それが寺ネット・サンガではないだろうか。」
と、寺ネット・サンガ 代表らしくまとめてくださいました。

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