道元という人がいた ~寺ネット・サンガ 坊コン~道元の教えから「仏道をならふというは、自己をならふ也、、、」

道元の教えから「仏道をならふというは、自己をならふ也、、、」

令和元年12月11日(水)、寺ネット・サンガ「坊コン」が日本橋のルノワール貸会議室で行われました。
宗祖シリーズ第4回は「道元という人がいた」をテーマに曹洞宗の前田宥全さんのお話です。

【比叡山での疑滞】
道元は正治2年(1200年)京都に生まれ、8歳の時に亡くした母の遺言の影響もあり出家得道しました。
当時の仏教界は、能力や教学などによって重要な役が決まるのではなく、世俗の権力が大きな影響を与えていたことに道元は葛藤を覚えました。
また、「本覚」思想(本来覚っている)を盾に修行不要論を唱えていた人々、もしくは実際に修行をしていない人々、さらには造悪無礙の振舞いをしていた人々への疑念も相まって、重要な教義である「本来本法性 天然自性身」(我々は本より法の性を持ち、生まれながらに自性の身である)について、「元々、法身であり、法性であるというならば、何故、諸仏は更に志を発し、修行をしたのであろうか」と道元は大いに疑問を抱きました。

これらの疑滞に対する明確な答えを得るために、道元は宋に渡ることになりました。


【阿育王山の老典座と出会い】
宋に渡った道元は、阿育王山(広利寺)の老典座と出会います。
道元は「如何是文字 如何是弁道」(文字とはどのようなものでしょうか、修行とはどのようなことでしょうか)と問いかけます。

その2か月後に再会した際に典座は、「文字を学ぶ者は、その文字の故実(作法・決まり・習わし)を知らねばならない。弁道を務める者は、弁道の意義を納得しなくてはならない」と答えました。
再度、道元は尋ねます。「文字とはどのような物でしょうか(如何是文字)」
典座は答えます。「一二三四五」
道元は尋ねます。「修行とはどのようなことでしょうか(如何是弁道)」
典座は答えます。「遍界はそのままで何も蔵すことはない(遍界不曾蔵)」

つまり、「如何なるか是れ文字」という問いに、「如何なるも是れ文字」と答え、
「如何なるか是れ弁道」という問いに、「如何なるも是れ弁道」と答えたのです。
問いそのままが、道理を表現しており、自己から発信された問いは核心につながるものであるということです。
『正法眼蔵「古仏心」巻』に説かれる「この問処、ひろく古今の道得となれり」という教えです。


【天童山の老典座からの学び】
天童山(景徳寺)老典座との出会いは、さらなる修行の自覚につながります。

道元 「どうして行者などのお手伝いを使わないのでしょうか」
典座 「他人を使っては、私の修行にならない(他は是れ吾にあらず)」
道元 「老僧の行っていることはまことに敬服いたします。しかし、天日はこのように暑いです。
    どうして、今、この時間に(海藻を)干しておられるのでしょうか」
典座 「(天日干しに適しているのだから)更に、いつの時間を待つことができようか。
    (更に何れの時をか待たん)」

天童山で出会った求道者からの学びから、『正法眼蔵「袈裟功徳」』に次の偈文を記しています。

「大哉解脱服 無相福田衣 披奉如来教 広度諸衆生」
(この偉大なるお袈裟は、人間のあらゆる執着心、煩悩を除く幸せの法衣である。これを肩にかけ、釈尊の教えを広め、生きとし生けるものを救おう)

出家の意義と発願を自らに言い聞かせる意味で、現在の修行僧たちも袈裟を身に着ける前に、この偈文をお唱えしています。


【暁天坐禅でのこと】
暁天坐禅において、坐睡している修行僧に、如浄禅師は、
「参禅は須らく身心脱落なるべし。只管に打睡して恁麼を為すに堪えんや」
(修行に参じるということは、当然のごとく全ての執着から解き放たれているのだ。なのに何故寝ていられるのか!)
と叱咤しました。

この一言から、「一生をどう生きて行けばよいか分かった。修行の方向性が見えて、何をすればよいか、それが何かがはっきりした」と『一生参学の大事』を悟ります。

仏(悟り)を目指すため、修行の努力とは見えないものを探し出すのではない。
全て丸出しであることに気付き、生きている全ての場が修行であることを心得て、今ここで行うべきことを全力で行うことである。
そして衆生がよりよく生きていけるように願い行動する生き方、一生を仏として生きる覚悟をしたのです。


【修証一如(しゅしょういちにょ)】
道元は様々な体験から「仏の悟り(法身・法性)は、人々のその人なりの命の上(分上)に満ち具わっているが、それを実践しなければ実現はしないし、体と行為で証明しなければ自分のものにはならない」という疑滞の答えに至りました。

つまり、仏の性を具えているという事実は、常に発心し、実践修行を繰り返すことによってのみ実証される。
元々から法身(自性の身)であり、法性(法の性)であるからこそ、諸仏は更に志を発し、修行をするのである。
ということです。

道元は、
◎修行は完結して終わる、のではない。
◎発心・修行を繰り返し、成仏し続ける。
◎衆生とともに生きる。
という教えを残してくださいました。

それは「すべてのものは移りゆく。怠らず努めよ」『佛埀般涅槃略説教誡経』(遺教経)というお釈迦さまの教えにもつながるものです。

道元という人がいた ~寺ネット・サンガ 坊コン~永平寺の修行

永平寺の修行

永平寺の修行僧(雲水)の一日を動画で紹介いただきました。

起床は午前3時半。
雲水たちは寝具を片付け、洗面所にて桶一杯の水で歯を磨き、頭から顔、耳の裏までを洗います。
その後、「暁天坐禅」と呼ばれる朝の坐禅、「朝課」と呼ばれる朝の勤行、修行として細かな作法の乗っ取った食事、掃除もまた動く禅とも呼ばれる「作務」まで、夜の9時就寝まで厳しい修行が続きます。


次に永平寺の典座(てんぞ)の動画を拝見しました。
典座とは、修行僧の食事を司る役職です。
典座は、食材や道具を大切にして、手間と工夫を惜しまず、食べる人のことを第一に考えて、丁寧に料理します。
そのため、典座の僧侶たちは休む間もなく、1日中調理をしています。
その姿から調理も食事もまた修行であることを学びました。


道元という人がいた ~寺ネット・サンガ 坊コン~質問いろいろ

質問いろいろ

問. 音を立てずに沢庵を食べる方法を教えてください。

答. 典座が透けるくらい薄く沢庵を切ってくれるので、音を立てずに食べることができます。
   また、音が出ると堂内での違和感となるので、自ら、草食動物が口の中で食べ物をすり潰すような
   食べ方を自然に習得します。


問. 「曹洞宗」という宗派は、道元の生前に開かれたのですか?

答. 道元自身は自らの教えを「正伝の仏法」(ブッダが説かれた正しい教え)であるとして宗派を特別に名乗ることを不要としていました。そのため弟子たちには自ら特定の宗派名を称することを禁じていました。
道元の入滅後、宗派の呼称として「曹洞宗」を用いるようになったのは、第四祖瑩山紹瑾の頃からと推測されています。


等々、質問は続きましたが、あっという間に終了時間となりました。
その続きは懇親会で大いに盛り上がりました。


寺ネット・サンガ「坊コン」、各宗派の僧侶が語る「宗祖シリーズ」は来年まで続きます。
次回は、浄土宗 吉田健一さんの「法然という人がいた」、2月6日(木)です。
どうぞお楽しみに!

坊コン

道元 前田宥全

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