寺ネット・サンガ「坊コン」「3.11これまでとこれから」「日蓮聖人と災害」

「日蓮聖人と災害」

2011年(平成23年)3月11日に起きた東日本大震災から、まもなく2年が経とうとしています。

寺ネット・サンガ坊コン」では、震災をいつまでも語り継いでいくことの大切さに焦点をあて、東日本大震災をテーマに語り合いました。



プチ法話担当は、永寿院の吉田尚英住職です。

歴史の教科書で馴染みのある日蓮聖人の『立正安国論』は、旅人と宿の主の問答形式で話が進み、全部で十の問答で構成されています。その冒頭には災害や飢饉に苦しむ鎌倉時代の人々の様子が綴られています。
文応元年(1260)に北条時頼に上呈されましたが、同時代に編纂された『吾妻鏡』には、数年前から地震・暴風雨・洪水など天災が続いたことが記録に残っており、巷には犯罪者や疫病の流行、飢饉に苦しむ人々が溢れていたとあります。

日蓮聖人の建治4年(1278)『松野殿御返事』(まつのどのごへんじ)の中には、人肉を喰らう者もいたと衝撃的な文章が残されており、鎌倉時代には想像を超える悲惨なありさまが広がっていたようです。

『方丈記』を綴った鴨長明も、養和2年(1182)4・5月、左京だけで4万2300人ほどの死者の数を数えたとあり、日本中に大変な苦しみ、悲しみが溢れていたことがわかります。



今生きているこの娑婆世界が浄土であり、浄土を生きる私たちは生きながら仏にもなることができる。しかし、一瞬の心の中には仏もいれば鬼もいる。一瞬のうちに浄土と地獄を行き来するのが私たちです。

信じることがすべての救いではなく、仏さまを信じることによって心の安定を図り、正しい心によってこの世を浄土にしていこう。迷いの根源的な問題から目を逸らし安楽へ導くのではなく、厳しいながら確実な方法を示しているのが日蓮聖人の教えです。

日蓮聖人はご自身が先のお手紙からうかがい知れるように、苦しみの体験者であり目撃者でもあったということがわかりました。

寺ネット・サンガ「坊コン」「3.11これまでとこれから」生き方で示す

生き方で示す

○宮沢賢治の生き方

吉田住職が取り出した黒い小さな手帳。これは宮沢賢治の手帳の復刻版で『雨ニモマケズ』手帳といわれているものです。

驚いたのは「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」の後に、法華経のお題目と仏さまの名前が書かれていたことです。私は今回の坊コンで初めて知りました。これまで「そういうもの」とはどういう意味なのかわかりませんでしたが、今回のお話をお聞きしてようやく謎が解けました。

人を助けようとおろおろ歩き続け、馬鹿にされても、仏さまの教えを伝え歩いていきたい、という賢治の想いが綴られていたのです。



○釜石市のお寺のご住職の生き方

岩手県釜石市の遺体安置所を舞台にしたドキュメンタリー調の映画『遺体 明日への十日間』が、2月末から公開されています。
その映画にも登場する釜石市仙寿院のご住職のエピソードを紹介してくれました。

震災直後、数か月避難所としてお寺を開放していた仙寿院で、ご住職はあるお婆さんにこう言われたそうです。神も仏もない、と。
仏さまに祈ったり頼ったりすることの意味もわからなくなっていたご住職は、お婆さんの言葉に頷き、愚痴をこぼしてしまいました。
しかしそれを聞いたご住職の娘さんが、仏さまの教えがあったからこの逆境に耐えていかれるんだと強い口調で言ったそうです。
避難者を受けいれ、守ろうとしたのは仏の教えがあったからだと、ご住職は娘さんの言葉に胸を突かれ、もう少し頑張ってみようと勇気を得たといいます。



「死んだ人はどうしているの?」「なぜこんな目にあるのか」「神も仏もいるのか」という問いに、吉田住職は生き方で示すしかない、と重い口調で語ります。


極限の状態で日蓮聖人が人々に教えを説いたこと。震災という苦境の中でお寺の住職が勇気を得たこと。また明治三陸地震と昭和三陸沖地震を経験し、病苦と闘いながら東北の農業振興に携わった宮沢賢治。

今苦しんでいる、困っている人を助けたい、みんなでしあわせな世界を生きていきたい。
お話をお聞きしながら、その人の立場や時代が違っていても、願うことは同じだと感じました。

寺ネット・サンガ「坊コン」「3.11これまでとこれから」あなたの3.11ストーリーとは?

あなたの3.11ストーリーとは?

今後東日本大震災のことを風化させないために、後世へどう自分が語り継いでいくかというテーマで、2011年3月11日のことを個人で振り返り、発表します。

今回の寺ネット・サンガ坊コン」は珍しいことに、お坊さんは吉田住職お一人。そこで毎回グループに分かれるのですが、今回はみんなで一つの輪になって順番に語り合いました。



・交通機関の混乱で帰宅困難に

・阪神淡路大震災が頭の中によぎった

・当日の夜、帰宅困難な人々へカイロを配ったりと対応が素早い人たちがいた

・ガソリンが供給されなくなり、八王子から青山まで自転車で向かった

・情報の混乱・操作を感じ、メディアへの不信感が大きくなった

・原子力発電所の状況を見て、人を使い捨てのように扱っていることに憤りを感じる

・要介護者の避難は難しいし、危険も伴う



○まとめ
日々仏さまに給仕することが、いざという時に役に立つと吉田尚英ご住職はおっしゃっていましたが、例えば震災の夜にカイロを配っていた方は、きっと普段から人を助けようという心構えを持っていたのでしょう。

日頃から、小さな善を積み重ねること、また他人を思いやる気持ちを持ち続けていることの大切さを改めて感じます。
また発表の中では今後の課題について深く考えている方も多く、普段の「坊コン」より人数が少なかったのですが時間いっぱいまで語り合いました。


震災に付随した問題は山積みです。しかし一番恐ろしいことは、問題を投げ出してしまうことだと思います。
それは日蓮聖人の教えにも通じるものだと思いました。


今回の「坊コン」では、震災のことを後世へ語り伝えていくことが、私たちの一つの使命であると強く感じました。
数日後には、東日本大震災三回忌が各地で営まれます。
心を込めてお祈りしたいと思います。

寺ネット・サンガ「坊コン」「3.11これまでとこれから」

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