空海という人がいた~寺ネット・サンガ 坊コン 芳彦流講談 「空海の人生をたどる」

芳彦流講談 「空海の人生をたどる」

令和元年10月17日(木)、寺ネット・サンガ「坊コン」が日本橋のルノワール貸会議室で行われました。
宗祖シリーズ第3回は「空海という人がいた」をテーマに真言宗の名取芳彦さんのお話です。

まずは空海の一生を名調子、芳彦流講談。
ベンベン!!



【誕生から大学中退】
ときは、宝亀5年(774)水無月半ばの15日。
ところは今ではうどんで有名な、四国は讃岐。
瀬戸内をのぞむ屏風ヶ浦に一人の男の子が呱々と産声をあげます。
その名を真魚(まお)。
のちの弘法大師、空海、その人であります。

御歳18歳にして、国で唯一の大学に入り、
蛍の光で『論語』を読み、雪明りをたよりに『孟子』を読破。

ところが、まわりの貴族の師弟を見れば、
家柄ばかりを笠に着て、張り子の虎か、大きな貝を背負った小さなヤドカリか。
家柄自慢に、財産自慢に明け暮れる。

「何のための学問か、人の道たる真の道とは何なのか……」
苦悩に胸は張り裂けんばかり。
まなじり決して、去るは立身出世の学びの館。


【山岳修行と仏教研鑽】
こうして大学を去った真魚少年。
縁は異なもの味なもの。
あるお坊さんと出合います。
このお坊さんが、仏道が人間の皮をかぶって歩いているような人。
すっかりその魅力に魅せられて、伏して拝んで頼んで言った。

「私も出家になりとうございます」
20歳になった真の魚は、昨日や明日じゃない、その名を教海(きょうかい)と改めます。

教えの海という教海という名は、いつしか、空(そら)の如く、空(くう)の如し。
如空(にょくう)と改められます。
お気づきでしょうか。教えの海、そして空の如し。

これで空と海が出揃っております。
さて、如空を空海にあらためましたのは御歳二十と二歳。

「仏教の宗派はいずれもすばらしい。
どれもすべて、お釈迦さまの教えを伝える聖の教えではあるけれど、
それは、まるで百花繚乱だけれども……
これをラッピングするものがない。花束にする教えがない」


【『大日経』との出会い】
ここで出会うは、その名も『大毘盧遮那神変加持経』、略して『大日経』でした。

「おお、これは……。これだ。
私が求めていたこの世のすべてを包み込む、風呂敷のような教えはこの教えだ」

「その教えの真髄を知っている善智識は、わが国にいないだけで、
唐の国に恵果阿闍梨(けいかあじゃり)という大徳がおられると聞いたことがある」

惚れて通えば千里も一里、万里の波濤を乗り越えて、
目指すは唐の都。青龍寺の恵果阿闍梨のおん御許(みもと)。


【いざ中国へ】
当時の遣唐船の船団は四隻。
その第一船に空海
第二船には、のちに比叡山で天台宗を開く伝教大師最澄が乗り込んでおります。

ほとんど風まかせの船の旅。
洋上を漂うこと30と4日。
ついに『大日経』の真髄を知る阿闍梨の国に到着とあいなります。

空海は、恵果阿闍梨から密教のすべてを授かり、
翌年、奇跡ともいうべきタイミングで帰国します。


【帰国後の活動】
『大日経』の教えを求めた空海が、
ともにたずさえてきたのは、密教だけにあらず。
当時世界の文化の中心ともいえる長安で、
学びも学び、揃えも揃えた、文物知識。

密教はもちろん、気象、天文、地質に医学。
サイエンスの分野から、はては筆の作り方まで。
目に触れ、耳に聞いた、人を救うための手段であれば、
空海は何でも持ってきた。

そして迎えた816年御歳43歳。
朝廷にうかがいたてし、紀州和歌山高野山。
ここを密教修行の道場に、どうじょ、賜りたい。
とにかく、このあたりから空海は、次々と筆走り、
硯の渇く暇もないほどの著作を残します。


【入定と大師号下賜】
禅定のまま、永久に数息断ち、今にこの世に身を留め、衆生済度のご誓願。
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん……」と
ときに承和2年春弥生。835年、3月21日のことでございました。

それから八十有余年。醍醐帝より賜りし、
その名は、数ある大師の中で、高くそびえる大師号。
仏法弘めしその名こそ、弘法大師、その人であります。


(当日の法話をもとに、名取芳彦著『心が穏やかになる空海の言葉』より抜粋)

空海という人がいた~寺ネット・サンガ 坊コン 空海と密教の教えについて

空海と密教の教えについて

空海について
司馬遼太郎は空海のことをダビンチを凌駕する天才と言い、一方では空海は「あざとい」とも言われています。
唐に渡ったのも、のちに天台宗を開いた最澄の国費留学と異なり、私費留学であったため、その費用はどこから出たのか?と謎も多い。
空海には「空白の7年間」と言われている期間があり、記録を何も残してないのだが、残せなかったことをしていたのでは、という憶測があります。(例えば中国に密航して会話を獲得していたのでは、など。)

このように、様々な評価をされている。

●出家とレールチェンジ
優秀な空海のために地方の一豪族であった佐伯家がすべてのコネを使い、貴族しか入れない大学に入ったのに、空海は大学を自分の意志でドロップアウトしました。
その時の心情を空海は いただいた恩は返せないが「小孝は力を用い、大孝は匱きず(本当の孝行は人々を救うことことが本当の孝行なのだ)」と出家の宣言をします。

名取さんは、私たちもレールを乗り換えるとき、「自分は今までより、大きな目標のためにこちらにいくのだ、嫌なのでやめるのではない、社会貢献したい」などスケールアップすれば、少なくとも自分は納得できるはず。(他人は納得しなくても)とお話しいただきました。

●密教の加持祈祷(かじきとう)について
「加」は加わる力 たとえば月で、「持」は受け持つ力、たとえば月が映る水面。
加わる力があり、受けもつ力があるときに不思議な世界が現れると空海は言い
それを加持世界と言うとのことですが、
一般の中で例えると、親が子供を思う それが加わる力で「加」
子供かそれを感じる 〈僕、私、親に思われているのだ〉と受け取る それが「持」
想い合い、とても幸せな家庭になる。加持世界が現れる。

夫婦では
「あなた、飲みすぎないでね」 → 「わかったよ、早めに帰ってくるね」
「帰ってきたよ」→「お疲れ様でした」
で、ちゃんと帰ってきたら幸せな加持世界が生まれる。(帰らないと・・・)

名取さんは難しい仏教より日常に落とし込んだものでないと意味がないと、分かりやすく伝えてくださっているそうです。

空海の教え

空海は没後86年して弘法大師という大師号を賜りました。
申請をだしていた観賢(かんげん)というお坊さんが高野山の奥の院に行き、亡くなっている空海に報告をし、橋を渡り名残惜しく振り向いたとき空海が橋の向こうで合掌して見送ってくれてたそうです。
弘法大師ともあろうお方が私ごときを見送ってくださるとは滅相もない、と思ったときに心に空海の声が聞こえ「勘違いするな、私はお前を見送っているわけではない、お前の中にある仏性を見送らせていただいているのだ」という伝説が残っているそうです。

名取さんは25歳の若い頃、葬儀に行き導師入場で自分より経験豊かな長老たちが合掌して迎える中を歩むときに「私そんなものではありません」と恥ずかしくて仕方なかったそうです。
しかし、このお話を知ってから、あの人たちは自分に合掌していたのではなく、仏の道を歩もうとする若い自分の志に手を合わせてくれていたのだということに気づいたそうです。
自分は61歳になるが、合掌してくださる方々の気持ちに耐え得る僧侶になろうと今でも思っているとのことです。

●密教~仏教の教えについて

仏教はいつでも心穏やかな人になろう、ということ。
そのための方法は8万4千あるともいわれます。

病気になろうが、死が迫ろうが心穏やかにいるために空海が示した方法は仏の真似をしてみなさい、ということ。
それは3つ「やること、言うこと、思うこと、で仏を真似る」
体と口と心(これを身口意という。)で仏様の真似をしてみなさい、それができた時にあなたは仏です、ということです。

もし私が仏様でコンビニでお茶を買うとする。その買い方も仏様の真似をしてみなさい、ということ。
まず、一番手前の商品を取り、バーコードを店員さんに向けて会計しやすくして、袋はいりません、テープでいいです、と言ってお金を払う。
相手が両手で出したものは仏様も両手受け取る。ありがとうございましたと言われたら丁寧にお礼を言って出る。すると店員さんは隣の同僚に
「今のお客さん、仏様みたいな人だったね」と言うでしょう。
密教ではそれを仏様みたい、とは言わず、それが出来ているときは仏、と考えるそうです。

初めは5秒仏を目指す、次は10秒、半年あとには20秒
今日が1つなら明日は2つ、というようにする、何のためか、それはいつでも心を穏やかにするため。穏やかに人になりたい、という大きな目標があるためです。

よく、名取さんはお坊さんの修行は大変でしょうと言われる。修行など我慢することもたくさんあるが、お坊さんには「お坊さんになる」という大目標と覚悟があるから、皆さんが思っているほどつらくはないとのこと。

仏様の真似を続ければ、仏にはならなくても仏に近づくようにはなれるとのことです。

質問いろいろ 

質問コーナー
●真言宗で派が分かれているが、智山派と豊山派の特徴を教えてください

真言は18本山に分かれています。メインの高野山真言宗、あと、豊山派と智山派で大半を占める。

その中で古義と新義というのがあり古儀は伝統的な空海の教えを守っている。
新義は時代に即した面が多い。
豊山派と智山派は兄弟宗派で大きな違いはないそうです。


●両界(金剛界・胎蔵界)曼荼羅って?

曼荼羅は宇宙のありかた。
金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)は私たちの智慧と宇宙の智慧がどうつながっているかを絵で表した回路図のようなもの。
胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)は仏の慈悲と我々の慈悲がどうつながっているかを絵で表した回路図のようなもの。
平面に書いてあるが本当は立体で見るものという。なかなか難しい。



●お大師さんっていうと空海自体を信仰する感じだが?

空海の亡き後も全国で弘法大師の教えを広めていったが、スーパーマンとして人々に持ち上げられてきた。空海は高い知識により色々できたことが当時の人には驚愕だったのではないか。
空海自身は自分を信仰しろとは言ってない。
お寺は本堂の中にお大師様のお像があるが、本尊とは別。(一部例外あり)
大師堂がある場合もある。


●真言宗では死んだらどこにいくのか?

密厳浄土という考えはあるが、名取さんは聞かれた時には
「あなたが生まれる前にはどこにいた?私は人が死んだら、生まれる前にいたところに帰ると思う」と伝えるということです。

生まれる前、水の中、光の中、言葉の中、食べ物の中、すべての中に偏在していたのではないかと思いをはせることができます。

空海は以下のように言ったそうです。
「阿字の子が 阿字のふるさと 立出でて また立返る 阿字のふるさと」
(私たちは、仏様の世界より生まれ、死ぬとまた、仏様の世界に還る)




名取ワールドに引き込まれ、あっという間の100分間でした。

寺ネット・サンガ「坊コン」、各宗派の僧侶が語る「宗祖シリーズ」は来年まで続きます。
次回は、曹洞宗 前田宥全さんの「道元という人がいた」、12月11日(水)です。
どうぞお楽しみに!

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