「私はよく”バカ坊主”と呼ばれます」 名取芳彦「バカでよかったよ。バカじゃなければできないものね」

「バカでよかったよ。バカじゃなければできないものね」

お通夜や法事の後に供される食事をお斎と言います。この場でお酒が出ます。お酒が嫌いでない私は「人酒飲み、酒酒を飲み、酒人を飲む」の言葉の通りの”バカ坊主”になることもしばしばです。そのぶん参列者との会話はザックバランで、腹を割ったものになります。

ある時、飲んだ勢いで私がつつみ隠さず日常のだらしない体たらくを吐露すると、これまたかなり酩酊の隣のおやじさんが「まったく、住職はクソ坊主だな」とおっしゃいます。
周囲の素面(しらふ)の人たちは目を丸くしました。住職に向かってクソ坊主とは失礼千万だと思ったのです。私はそのおやじさんに言いました。
「お褒めいただいてありがとうございます」「住職、何言ってんだ。褒めてねぇよ」「いや、私はまったくのクソ坊主」「そうだよ」「でもこのクソ坊主のクソは、ナニクソのクソ。へこたれないぞと頑張る坊主」「ははあ、なるほどね。そりゃクソ坊主だ」で、二人だけでなく周囲も巻き込んで「わはははは」と大笑いしたという顛末。

クソ坊主だけでなく、私はよくお坊さん仲間に”バカ坊主”とも呼ばれます。自分の時間がほとんどないほど色々なことに手を出しているからです。
見方によればバカですが、私にとっては褒め言葉。「へへへ。どうも、バカですみません」と喜びます。関西ではアホになるのでしょうか。
こうした開き直りは皆さんにも必要でしょう。バカでなければできないようなことはたくさんあるのです。
「バカでよかったよ。バカじゃなければできないものね」とニッコリ笑えばいいのです。普通ではできないことをしているのだという自覚を持てばいいのです。

私が気になるのは、何かを失敗して自分のことを「バカみたい」と照れ笑いする人の方です。
”みたい”は、心の底では自分はバカではない、失敗などしないと思っているのです。
しかし、失敗したのですから、堂々と自分のバカを認めればいいと思います。その点で失敗をして「わっ、やってしまった。私ってバカだなあ」とおっしゃる人に清々しさを感じるのです。
だれかに「あなた、バカじゃないの」と言われて気になるようなら、次はこう言ってはどうでしょう。「”あなた”の後に ”も” を入れなさい」

(名取芳彦著『気にしない練習』より)

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