寺ネット・サンガ 過去のイベント一覧
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第11回 仏教ひとまわりツアー 尼僧さんと一緒に浄土めぐり
仏教ひとまわりツアー
2014-04-05
梅雨を忘れさせる晴天に恵まれた6月8日。寺ネット・サンガ「仏教ひとまわりツアー」が行なわれ、柴又帝釈天「題経寺」に約40名の参加者が集まりました。 ○帝釈堂でご開帳の法要 初めに帝釈堂内にて、「板本尊(いたほんぞん)」のご開帳法要に参列。「仏教ひとまわりツアー」参加者のお名前を読み上げて祈願をして頂きました。 板本尊の片面には日蓮聖人ご真刻の「病即消滅本尊」の経文が、もう一方の面には帝釈天王が彫刻されています。 お経中に一人ひとり板本尊を間近にお参りさせていただきました。 暗い堂内に帝釈天王の像がぼんやりと浮かぶように照らされています。お顔をはっきりとは拝見することができないほど暗い中で、掲げた剣と大きく開いた左手が見えます。闇の中にヌッと帝釈天様が立っているような感じです。 たいへん貴重な体験で、おそらく今後もこのような機会はめったにないことであると、忘れられない思い出になりました。 ○題経寺 境内ツアー 境内の案内ガイドは、池上本門寺にて池上市民大学の副担任をなさっている岡本亮伸さんです。 ・柴又帝釈天 経栄山題経寺は、江戸時代初期・寛永年間の創立のお寺です。 帝釈天王の像が彫刻された板本尊が一時所在不明となっていましたが、安永8年春、庚申の日に再び姿を本堂棟上から発見され、「病即消滅」の板本尊が出現した庚申の日に縁日が盛んに行なわれるようになりました。 1969年に公開された「男はつらいよ」の寅さん人気が高まり、柴又の町は現在も多くの参拝客と観光客で賑わっています。 ・彫刻ギャラリー お開帳をいただいた帝釈堂内陣の外壁には、ぐるりと繊細な彫刻が施されています。 現在は彫刻の保護のためにガラス張りになって、回廊を歩いて彫刻を鑑賞することができます。法華経の説話にまつわる場面を欅(けやき)の一枚板を彫刻した、貴重な文化財の数々です。 岡本さんのガイドで拝見していると、物語を見て歩いているような気分になります。 薬草から薬を作っている場面が描かれ、法華経が人々の心の病を治す良薬であることを表している「薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)第二十三」の「病即消滅の図」が心に残りました。 ・大庭園(邃渓園・すいけいえん) 日本庭園を眺める大客殿では、日本最大の大南天の床柱などを拝見しました。いたるところに職人魂が宿っている境内で、私たちはしばしば足を止め、じっくりと彫刻や床柱に見入っていました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「孤立死」ひとりで死ぬということ
坊コン
2014-04-05
今回の坊コンは、寺ネット・サンガ代表の中下大樹さんのお話です。 新潟県長岡市のホスピス(緩和ケア病棟)で、末期がんの患者さんたちを多く看取ってきた中下さんは、現在、独り暮らしのお年寄りの見回りや、自死を考えるまで追い詰められている方々の相談窓口など、自死や孤立死に関する問題について様々な活動に従事なさっています。 お話の前に、以前放送されたテレビ東京のドキュメンタリー番組「独りで死ぬということ」を30分間拝見いたしました。 スクリーンに映し出されたのは、将来、孤立死が心配されるお二人の女性。 若い時にトラブルに巻き込まれ、以来人を信用できなくなってしまった女性は長い間家に独り引きこもって暮らしています。世間とのつながりは「携帯電話だけだよね」と語り、自身が高齢となった今「死ぬのを待つだけ」と中下さんにその心情を吐露します。 もう一人は、夫に先立たれ、現在一人で病と闘いながら自宅で独り暮らしている女性です。子どもがいないため、せめて夫の七回忌までは生きようと目標を語りますが、番組の途中で病が悪化して入院してしまいます。お見舞いに訪れた中下さんに、彼女は「もう無理かもしれない、しかたがないね」と弱々しい声で話すのでした。 世間とのつながりを自ら断ち、何をするのでもなくただ死期を待つだけの「孤独」。一方では先立った大切な人のために、自分の命をなんとかつなごうとしながら、不安だらけの日々を過ごす「孤独」があります。 場面は変わり、世間とのつながりを断った女性を久しぶりに散歩へ誘い、公園で中下さん、女性、反町先生の3人が並んで腰かけています。 番組には、今回の「坊コン」にも出席されていた法医学者の反町吉秀先生(大妻女子大学大学院人間文化研究科教授)も出演されていました。 中下さんは遠くを見つめながら、女性に問いかけます。 「独りで死ぬことってどう思う?」 女性は表情を変えることなく、しっかりとした口調でこう言いました。 「なんともないね!」 少し間を置いて出た、この言葉は衝撃的でした。 生きることと死ぬことを同じように、彼女は自分の「生」も「死」も、ただ時間の流れに任せているように思えました。 スクリーンに映し出された女性の表情から本心を読み取ることはできませんが、言葉を発する少しの「間」は何を物語っていたのでしょうか。
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第10回 仏教ひとまわりツアー 尼僧さんと一緒に浄土めぐり
仏教ひとまわりツアー
2014-04-05
本日ツアーのガイドをして下さったのは、光善寺の坊守(お寺の奥様)柳川眞諦(やながわしんたい)さん。 柳川さんは、お寺に嫁いでからご修行をお積みになり、現在は浄土真宗本願寺派の布教師として活躍していらっしゃいます。 ピンクの艶やかな法衣で登場された柳川さんに、私たちの目はくぎ付けになってしまいました。 法衣も浄土のお荘厳(お飾り)の一つなのだそうです。 ご本尊の阿弥陀如来さまの周りは金や極彩色で彩られた蓮の花が描かれており、僧侶も含めたお堂全体で浄土を表しています。 浄土真宗は、阿弥陀如来さまの本願力(慈悲と智慧の働き)によって、人間の命が尽きたら、即浄土に往生という教えです。お釈迦さまの説かれた「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」という経典に基づく教えです。 ○浄土三部経 阿弥陀如来さまは別名無量寿如来(むりょうじゅにょらい)といい、『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』は浄土真宗では一番重要な経典とされます。 『仏説観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』にはインドのマガタ国で起こった悲劇をもとに、お釈迦さまがお念仏によって往生する方法をお説きになっています。 その中には、韋提希夫人(いだいけふじん)という王妃さまが登場してきます。 自分の過去の過ちを忘れ、現在の自分の身の上の不幸ばかりを嘆く王妃さまの姿は、煩悩を抱えて悩み苦しむ人間の代表として描かれています。 『仏説阿弥陀経(あみだきょう)』は、今回私たちも一緒にお唱えいたしました。 阿弥陀経は智慧第一といわれた舎利弗(しゃりほつ)というお弟子さまに語りかける形で綴られています。 問答形式ではなく、無問自説といって、お釈迦さまが自ら説かれる形式で進んでいきます。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「3.11これまでとこれから」
坊コン
2014-04-03
2011年(平成23年)3月11日に起きた東日本大震災から、まもなく2年が経とうとしています。 寺ネット・サンガ「坊コン」では、震災をいつまでも語り継いでいくことの大切さに焦点をあて、東日本大震災をテーマに語り合いました。 プチ法話担当は、永寿院の吉田尚英住職です。 歴史の教科書で馴染みのある日蓮聖人の『立正安国論』は、旅人と宿の主の問答形式で話が進み、全部で十の問答で構成されています。その冒頭には災害や飢饉に苦しむ鎌倉時代の人々の様子が綴られています。 文応元年(1260)に北条時頼に上呈されましたが、同時代に編纂された『吾妻鏡』には、数年前から地震・暴風雨・洪水など天災が続いたことが記録に残っており、巷には犯罪者や疫病の流行、飢饉に苦しむ人々が溢れていたとあります。 日蓮聖人の建治4年(1278)『松野殿御返事』(まつのどのごへんじ)の中には、人肉を喰らう者もいたと衝撃的な文章が残されており、鎌倉時代には想像を超える悲惨なありさまが広がっていたようです。 『方丈記』を綴った鴨長明も、養和2年(1182)4・5月、左京だけで4万2300人ほどの死者の数を数えたとあり、日本中に大変な苦しみ、悲しみが溢れていたことがわかります。 今生きているこの娑婆世界が浄土であり、浄土を生きる私たちは生きながら仏にもなることができる。しかし、一瞬の心の中には仏もいれば鬼もいる。一瞬のうちに浄土と地獄を行き来するのが私たちです。 信じることがすべての救いではなく、仏さまを信じることによって心の安定を図り、正しい心によってこの世を浄土にしていこう。迷いの根源的な問題から目を逸らし安楽へ導くのではなく、厳しいながら確実な方法を示しているのが日蓮聖人の教えです。 日蓮聖人はご自身が先のお手紙からうかがい知れるように、苦しみの体験者であり目撃者でもあったということがわかりました。
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第9回 仏教ひとまわりツアー 尼僧さんと一緒に浄土めぐり
仏教ひとまわりツアー
2014-04-03
2月9日(土)、寺ネット・サンガ主催の仏教ひとまわりツアー第9回「尼僧さんといっしょに 浄土めぐり」が開催されました。 場所は駒込大観音で知られる、文京区向丘の光源寺。 当日は約30名の参加者が集まりました。 光源寺の島田絵加副住職から、浄土宗の教えや浄土についてのお話しを伺います。 とてもお若く、目がキラキラとした笑顔のステキな尼僧さんです。 ○浄土宗 浄土とは? 苦しみの多い世の中を生きている私たちが命尽きた後、おだやかな時間を過ごす場所が浄土といわれています。 私たちのいのちが生きている現在に限らず、生まれる前から死んだ後までずっと続いていくと考えてみますと、「今」という時間を粗末に過ごすことはできないはずです。 その場限りの投げやりな感情や行動ではなく、いつか旅立つおだやかな世界へ向けて、今から少しでも良いことをしよう、周りの人にやさしくしようという気持ちが出てくると思います。 命尽きた後に、おだやかな世界が待っていると思うことで、「今」という時間をおだやかな気持ちで過ごすことができるのではないでしょうか、と島田副住職はおっしゃいます。 ○浄土宗の教え 浄土宗では、「南無阿弥陀仏」と十回唱えることを「お十念」といいます。お十念の息継ぎの箇所、節の調子など細かく教えて頂き、私たちもゆっくりとお唱えしました。 本堂脇に掲げられている弥陀来迎図(みだらいごうず)の掛け軸には、浄土を創造し、守ってくだっている阿弥陀如来さまが描かれています。私たちのいのちが尽きた瞬間に、阿弥陀如来さまを中心にたくさんの仏さまが音楽を奏でながら、迎えにいらっしゃる様子を表しています。 島田副住職は、この掛け軸を見ながら「迎えに来てくださる」ことにあたたかさを感じるとおっしゃいます。 お十念を唱える際には、阿弥陀如来さまに「お迎えに来てくださいますように」とお願いする気持ち、またお迎えに来てくださったことに対する感謝の気持ちを込めることが大切だそうです。 実際に、お経をお唱えながら浄土宗信徒日常勤行式をご一緒させていただきました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「浄土について」
坊コン
2014-04-03
先日の雪がまだ溶けきらない1月15日。 寺ネット・サンガ「坊コン」は、八王子市延立寺の松本智量ご住職の「プチ法話」から始まりました。 仏教に救いや答えを探し求める人がいます。 しかし、仏教は「問い」として受け止めてほしいと松本ご住職はおっしゃいます。その理由は、仏さまが私たちに救いを与えてくださるにしても、「なぜ、私たちに救いが必要なのか」「助けられなければならない私なのか?」と自分自身の胸に問いかけることから始まるからです。 私たちは「死」について考える時、まず自分の死を考えます。 しかし生きている私たちにとって本当の試練は、自分の死よりも愛する者を失った時なのです。 愛する者を失った喪失感、悲しみは一人で抱えきれるものではないという意味では、私たちの命というものは独立したものではなく、共有して成り立っているものと捉えることができます。 命を縁ある人々が共有している、その姿こそが浄土の姿ではないでしょうか、と松本ご住職はおっしゃいました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「宗活について」
坊コン
2014-04-03
○「サンガの『宗活』」お坊さんといっしょに わたしの宗教的感性を耕す活動 12月5日(水)に行われた寺ネット・サンガ「坊コン」。 神奈川県平塚市にある浄信寺のご住職吉田健一さんのお話です。 お通夜の際、吉田健一さんはお通夜の前に、いつもこのようなお話するそうです。 「これからのお通夜、お葬式はお別れの儀式ではありません。故人との新しい関係を再構築していく第一歩です」と。 これまでの故人と築いてきた関係を断つ、また大切な人を失った喪失を埋めるための儀式ではないのです。 吉田健一さんがこのお話する背景には、「かけがえのない」大切な人を失ったことは、他の何かで埋められるはずがないという思いがあります。 吉田健一さんは、私たちに問いかけます。 故人は今すばらしい世界へ旅立ち、安らかな気持ちかもしれませんが、たったひとつ「憂い」があるとしたら何か。それは、この娑婆の世界に遺してきた人たちのことだろう、と。 故人は、この世を去ったあとも、現世に生きている私たちを見守っています。そして、自分が故人になった際には、やっぱり向こうの世界から現世に生きている人たちを振り返って、見守っていきたいと思うのではないでしょうか。 英語で「continuing bonds」という言葉があるそうです。 初めてお聞きした言葉なので調べてみますと、もともとは米国の宗教心理学者デニス・クラスの提唱した言葉で、吉田健一さんは京都大学の宗教学者カール・ベッカー氏の本を読んで知ったそうです。 日本語訳で「続く絆」という意味で、亡くなった人との絆をつないでいく、という古くからの日本人の供養の心を表しています。 私たちは、遺影に向き合い、仏壇に手を合わせ、時には故人に語りかけることもあります。 日本人は当たり前のことのように感じますが、外国の方々の視点からすれば、生きているように故人に対することが、不思議に感じられるそうです。 意識しないうちに、私たちの生活の中に「宗教的感性」が備わっているのですね。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「法医学者が語る死生観」
坊コン
2014-04-03
今回の坊コンは、法医学者の反町吉秀先生(大妻女子大学大学院人間文化研究科)お招きし、大変貴重なお話を伺いました。 反町先生が実際に検屍、解剖された体験から9つのケースを抜粋し、それぞれの死因から読み取れる社会的背景についてのお話です。 実際に検屍、解剖された時のお話には強烈な印象を受けました。 外見はいたって健康そうなのに、体は仕事で過労状態。40代で突然電車の中で倒れ、そのまま息を引き取ったサラリーマンの方。 日本の経済成長率がマイナスに転じた1998年以降、自殺者の数が急激に増えたこと。 自然排気式風呂釜の不完全燃焼による一酸化炭素中毒によって夫婦が死亡したこと。 産後鬱によって、子どもを出産後、無理心中した母子のことなど。 実は死ななくても済んだのではないか。サポート体制がしっかりしていれば、ひとつの死が防げたのではないか。「世の中には、Mottainai 死が多すぎる」と反町先生は語ります。 何事もなく普段通りの生活をしていて、突然に断ち切られた生――。 反町先生は、死因究明が亡くなった人への供養だと考え、法医学者として15年ほど働き、現在は死を防ぐことに力を注ぐようになったといいます。 先生のお話終了後、「坊コン」参加者から次から次へと質問が出ました。 餓死は苦しむものなのかなど、「死」という現象についての質問。また、解剖して判明した死因が、例えば自然排気式風呂釜と分かった場合、予防策はどのように行政で行われるのかなど。 海外では、死因究明制度が不慮の死の予防に機能している地域もあるそうで、その点で日本はまだまだ課題が多いそうです。
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寺ネット・サンガ「夏の特別企画 怪談ときもだめし」
その他
2014-04-03
お寺で「怪談ときもだめし」!? 寺ネット・サンガでは、夏の特別企画として、お寺できもだめしを行いました。 会場となる永寿院に、約40名ほどの参加者が集まりました。 今回のきもだめしは、万両塚(芳心院殿墓所)への献灯がメインイベントです。 まず写経。塗香(手に塗るお香)で身を清め、仏さまをお迎えする準備。 合掌し、お題目を三回。心を落ち着かせてお題目を写経します。 「南無妙法蓮華経」と薄く印刷されているので、写経が初めてでも安心です。薄く印刷された文字をゆっくりなぞっていくのですが、これから「きもだめし」が始まるかと思うと、ちょっと筆がふるえます。 回向文を唱え、合掌し、お題目を三唱。 こうしているうちに、ザワザワしていた心が落ち着いてくるのを感じます。 先ほど写経した紙の裏がシールになっていて、それを献灯用の筒に貼り付けます。 夜の暗闇で足元が見えなくなる前に、事前にコースの下見に行きます。 これで準備は万端!? いよいよ「怪談ときもだめし」の開始です。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「お盆について」
坊コン
2014-04-03
今回の寺ネット・サンガ「坊コン」はお盆についてです。 東京駅からほど近い会場に集まった約30名の参加者。参加者の10名ほどがお坊さんということで、お坊さん密度の濃い会合です。 ○プチ法話 まず、真言宗密蔵院 名取芳彦ご住職より「プチ法話」をお聞きしました。 名取ご住職の噺家のような面白い語り口に、思わず身を乗り出して聞き入ってしまします。特に犬の「はやたろう」が「ワンッ!」と吠える場面など、大迫力でした。 静岡県磐田市見付にある矢奈比賣(やなひめ)神社に伝わるお話で、「はやたろう」という勇敢な犬の物語。 人間の子どもを喰べるという恐ろしい白いヒヒたちがおりました。彼らが恐れるのは信州の光前寺で飼われている犬「はやたろう」。 「はやたろう」は静岡の矢奈比賣神社で白いヒヒたちと格闘し、白いヒヒに勝利したものの傷を負ってしまいます。やがて「はやたろう」は亡くなってしまいました。 現在も矢奈比賣神社と光前寺には「はやたろう」伝説が伝わっています。
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初期「仏教ひとまわりツアー」再放送②
仏教ひとまわりツアー
2020-08-20
仏教ひとまわりツアー、第2回は港区三田の 曹洞宗正山寺です。 日程は、平成23年(2011年)3月5日(土)の14時から17時。 模擬葬儀もあります。 動画はこちら↓ https://www.youtube.com/watch?v=UGrjRTVq69E&t=17s 初めに、前田宥全住職の法話です。 瞬一瞬移り変わる心の動きを一つ一つ追いかけるのではなく、流れのままに任せ、とらわれず、真実のあり方を見極める道が禅の修行です。 自己を見つめるために、日常の戒律・規範を定め、繰り返し自分に言い聞かせ、繰り返し自分に問いかけること、坐禅であり問答です。 とにかくまずは坐ってみましょう。
寺ネット・サンガのイベント
「坊コン」
オフィス街でお坊さんとコン談!コン親!コンパ!急な参加も歓迎!定番人気の仏教入門イベントです。
「仏教ひとまわりツアー」
お坊さんたちと一緒に仏教ワクワク体験イベント!宗派宗教を超えて、次はいずこへひとまわり?
「その他の特別イベント」
番外編の特別イベントです。楽しんでいただけたかな?またの機会をお楽しみに!