寺ネット・サンガ 過去のイベント一覧
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冥途の土産 ~寺ネット・サンガ「坊コン」
坊コン
2018-12-13
宗派を超えてお坊さんと仏教について気軽に語り合える「坊コン」が、2018年12月11日(火)に日本橋のルノアール貸会議室にて開催されました。 今回のテーマは「冥途の土産」、まずは寺ネット・サンガの吉田尚英代表(日蓮宗永寿院住職)のプチ法話です。 「初七日から始まり順次お裁きが行われ、よい判決が出るようにと遺された人たちが供養の思いを届けるのが中陰法要。旅先で受け取れるように旅費を送金するような感覚で、『土産』というより『餞別』でしょうか?」 という投げかけに始まり、「土産」の語源、「餞別」と「餞(はなむけ)」についてのお話がありました。 しかし、「お葬式は、死者を送る儀式ではあるが、お祝いや励ましを込めて送り出すシーンではないので、『はなむけ』『餞別』より、『たむけ』「回向」のほうがふさわしい」と説明されました。 また「冥途の土産ハラスメント」について書かれた週刊誌の記事を紹介し、高齢者たちが「冥途の土産にするから」といワガママを押し付ける「冥ハラ」には、「生きた道を認めてほしい」というワガママの根底にある思いに寄り添うことが大事ではないかと伝えてくれました。 そして、「先ず臨終の事を習うて」という日蓮聖人のお言葉から、人の寿命はいつ散ってしまうかわからないものであるから、まず臨終のことをよくわきまえて、その後で他の事を考えるべきである。老いも、若きも関係なく、思い立ったら土産の支度をいたしましょう。「いつやるか?今でしょう!」とハッパをかけられました。 「冥途の土産」が用意できなかった方には、餞別(手向け)も用意されています。 それが葬儀の際に導師が読む引導文です。 日蓮宗の引導文には、「艮(うしとら)の廊(わたりどの)にて尋ねさせ給え。必ず待ち奉るべく候」という一節があります。あの世に行っても日蓮聖人を訪ねてくれば大丈夫という意味で、これ以上の安心を与えてくれる餞別(手向け)はないでしょう。 ただし、その日蓮聖人のお言葉を信じ切れるかどうかは、生前の信仰次第ということになります。餞別を受け取るにしても、それなりの準備は必要です。 どうぞ仏道修行にお励みください。 とまとめられました。
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10周年記念「坊コン」
坊コン
2018-10-19
寺ネット・サンガの坊コンが2018年10月16日(火)に築地本願寺にて開催されました。 寺ネット・サンガは2008年の発足から早10年。今回の坊コンは「寺ネットサンガ10周年記念坊コン」と銘打ち、サンガ代表の吉田尚英さん(日蓮宗)、サンガ事務局の藤尾聡允さん(臨済宗)、松本智量さん(浄土真宗)の3名によるプレゼン法話と、お坊さんを交えたグループディスカッションという構成で行われました。 まずは吉田さんから、これまでの10年間の寺ネットサンガの活動報告をして頂きました。 10年前の2008年、発足当初は何をどうしてよいのか手探りの状態の中、活動プランコンテストなどを企画しながら試行錯誤してきた事務局でしたが、2010年からは“お坊さんと話せる日、お坊さんに話せる場”を作ろうと「坊コン」を主軸に据えることに。 さらに2011年からは「仏教ひとまわりツアー」をスタートして、お坊さんと一緒に色々な宗派のお寺に出かけたり、キリスト教の教会や神社、イスラム教のモスクをも訪問するという斬新なツアーを様々企画してきました。初期の頃は業者さんが多く来ていた寺ネットサンガでしたが、坊コンや仏教ひとまわりツアーを始めると、一般の方々が多く来てくださるようになりました。 仮想寺院として、宗派を超えて、さらには僧侶としての立場の垣根をも越えて、何かできるかを模索しながら歩んだ10年だったと、寺ネットサンガのこれまでを振り返ってお話しくださいました。 吉田さんのご挨拶のあと、皆さんと共に“三帰依文(さんきえもん)”をお唱えしました。 〇三帰依文とは お釈迦様の在世の時、当時の人々はこの三帰依文を唱えて、お釈迦様の弟子として入門の儀式を行ったと伝えられています。以来、この三帰依文は広く世界中の仏教徒によって大切に唱え継がれています。 三というのは仏教における三宝である「仏」「法」「僧」のことをいいます 「仏」=お釈迦様「法」=お釈迦様の教え「僧」=仏の教えを学び伝える人々の集まりのことです。 「自ら仏に帰依し奉る」「自ら法に帰依し奉る」「自ら僧に帰依し奉る」という三帰依文は、み仏であるお釈迦様を敬い、その教えを大切に守り、その教えを学ぶ人々の集まりを大切にいたしますと唱えています。 「僧」とは日本では僧侶のことを指しますが、こちらの「僧」の意味は僧伽(そうぎゃ)で、インドの古い言葉(サンスクリット)では“サンガ”といいます。 (全日本仏教教会HPより)
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仏教宗派 基本の「キ」4~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2018-06-19
宗派を超えてお坊さんと仏教について気軽に語り合える「坊コン」が、2018年6月14日(木)に日本橋のルノアール貸会議室にて開催されました。 『仏教基本の「キ」』第4回目となる今回のテーマは、 「日本仏教のキホン ―なぜたくさんの宗派があるの?―」です。 寺ネット・サンガ・会員のお坊さん 真言宗豊山派の名取さん、日蓮宗の吉田さん、浄土真宗本願寺派の松本さん3名のお坊さんにお話を伺っていきます。進行役は供養コンシェルジュ樋口さんが務めてくだいました。 まずは吉田さんから、お釈迦さまの教えが仏教となり、インドから中国、日本へと伝わった過程で分派していった様子を簡単に説明いただきました。 釈迦の入滅後に釈迦の教えを経典にしていくなかで、考え方の違いから上座部(じょうざぶ)と大衆部(だいしゅぶ)に分裂。その後、大衆部の考えを引き継ぐ大乗仏教の経典が中国に伝わり、いくつかの宗派に分かれ、日本にも“南都六宗”として伝わりました。 日本の仏教宗派は、戦前は「十三宗五十六派」が数えられ、1951年(昭和26年)に宗教法人法が施行されると、既成仏教宗派のなかからさらに多くが分派したそうです。 写真は1964年(昭和44年)の日本の仏教宗派一覧表です。あまりにも多くの宗派に分かれていることに驚きました。現在でも、宗教法人法に則り文科省で認められれば、宗教法人として新規登録されることは可能なのだとこと。
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お経の基本の「キ」~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2018-02-24
宗派を超えてお坊さんと仏教について語り合う場、寺ネットサンガの「坊コン」が、2018年2月19日(月)に日本橋のルノアール貸会議室にて開催されました。 『仏教基本の「キ」』の第3回目の今回のテーマは「お経のキホン」です。 今回も真言宗豊山派の名取さん、日蓮宗の吉田さん、浄土真宗本願寺派の松本さん、臨済宗建長寺派の藤尾さんの4名のお坊さんと進行役の供養コンシェルジュ樋口さんとで、トーク形式で進めていきます。 数万もあるといわれているお経。法要などの儀式でお坊さんがお経を唱えていますが、その意味がどんなものなのかは、仏教を勉強している人でなければなかなかわからないもの。それなら漢文を和訳して唱えてくれたら解りやすいのに!という一般の人の声もあるそうですが、果たしてお坊さんのご意見はどのようなものなのでしょう。また、各宗派によって読むお経に違いはあるのでしょうか。
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お坊さんの基本の「キ」~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2017-12-26
宗派を超えてお坊さんと仏教について語り合う場、寺ネットサンガの「坊コン」が、2017年12月21日(木)に日本橋のルノアール貸会議室にて開催されました。 今回は『仏教基本の「キ」』の第2回目。テーマは「お坊さんのキホン」です。 お坊さんの基本の「キ」について、お坊さんになる方法は?どんな暮らし?ランクってあるの?などなど、普段は聞きにくい質問をお坊さんにしてしまおう! ということで、真言宗豊山派の名取さん、日蓮宗の吉田さん、浄土真宗本願寺派の松本さん、そして、臨済宗建長寺派の藤尾さんの4名のお坊さんにお話しを伺っていきます。 進行役は供養コンシェルジュの樋口さんが務めてくださいました。 同じお坊さんでも宗派によっては答えが違ってくることも。そういった違いを知ることもサンガの坊コンの面白いところです。 〇どうやったらお坊さんになれるの? 【得度(とくど)】 基本的にはどの宗派でも、その中の誰かをお師僧として、その方のお弟子になることから始まります。そして「得度(とくど)」を行います。 得度とはお坊さんになるための最初の儀式です。宗派によってその最低年齢は異なりますが、小学生くらいから得度できるようです。多くは親が僧侶だからという理由で、子供のうちに得度式をやってしまう場合もあるそうです。学生が多い為か「得度式」は8月(夏休み中)に行われている宗派が多いようです。 頭を丸めて「お坊さん」となる覚悟を決める得度ですが、得度したからといって必ず僧侶にならなければいけないわけではありません。また、この時ばかりは有髪を認めている浄土真宗でも頭を剃って臨みます。 【修行をする】 お坊さんと言えば「修行」がつきもののイメージですが、これは宗派によりずいぶん違いがあるようです。例えば、日蓮宗は総本山の身延山で35日間の修行をします。 真言宗では宗派によっても違いがあり真言宗豊山派は40日ほどの修行。事情によっては2年に分けて2週間づつ分けて行うことも出来るとのことです。 臨済宗建長寺派は僧堂での3年半の修行が必要とのこと。僧堂では坐禅や公案を先輩僧侶からみっちり学びます。学歴は関係なく中卒でも僧堂に入ることができます。 浄土真宗本願寺派は特に修行はありません。 ですが、お坊さんになるための知識を学ぶ場(専門の学校や龍谷大など)で1年ほど勉強することで資格(得度)を得ることができるそうです。3年ほどかかるが通信教育もあるようです。 松本さんは「浄土真宗のお坊さんは人を導くという役目はありません。”救われる見本になれ”と、他の信者と同じ立場であるというスタンスをとっているのです。だから、修行も特にないわけです」とのこと。 有髪無髪にこだわらない浄土真宗ならではの独特な考え方なのだと納得しました。 【系列の大学で学ぶ】 今回参加されている僧侶の4つの宗派でも日数や修行方法の違いが大きく、正直驚きました。 その他、各宗派それぞれの系列大学があるので、大学で専門知識を学びながら僧侶の勉強をするという方法もあるそうです。例えば日蓮宗では立正大学や身延山大学で、浄土真宗は龍谷大学などですが、宗派の系列の大学でのみ、その宗派の内容を学ぶことができるのだそうです。
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仏教 基本の「キ」~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2017-08-27
宗派を超えてお坊さんと仏教について語り合う場、寺ネットサンガの「坊コン」が、2017年8月22日(火)に日本橋のルノアール貸会議室にて開催されました。 〇仏教ことはじめ ところで、なんで、そうするの? 今回からの坊コンは新テーマ 【仏教 基本の「キ」】 今一度、仏教の基本に立ち返ってみてはどうだろう? なんとなくそうするものだと思っている仏教の基本って、実はどうなの? そんな、基本的なことだからこそなかなか聞けないようなことをお坊さんたちに聞いちゃいましょう! ということで 真言宗、日蓮宗、臨済宗の三つの宗派のお坊さんからそれぞれのお答えを頂きます。 今日は「葬儀・法要の基本」のうち「焼香」・「数珠」・「合掌」の基本「キ」についてのお話しを伺っていきます。 真言宗からは名取さん、臨済宗からは藤尾さん、日蓮宗からは吉田さん。 寺ネットサンガの三名のお坊さんがお答えくださいます。 進行役は供養コンシェルジュの樋口さんが務めてくださいました。 〇焼香の基本の「キ」 葬儀や法要で必ずするのが焼香です。 文字どおり“お香を焼く”わけですが、宗派によってやり方に多少の違いがあったりするのだそう。 昨今のマナー本には、細かく宗派によるやり方の違いが書かれてもいるそうで、本当のところ実際はどうなの?とお坊さん達に伺ってみました。 ・焼香って実際は何で出来ていてどういうものなの? ・焼香とお線香ってどう使い分けるの? ・法要などの際、各宗派での所作をやってみてほしい。 などの素朴な疑問や、そもそもどういうものなの?といった質問も。 お話を伺っているとお焼香のやり方には地域性による差といった面も多くあるようです。 「ついつい前の人の所作を見ながら、慌ててそれを真似するよりは 自分の信じる宗派の型を自信を持って行うというのも素敵だし 人と違うからと言って何かを言われるのを気にしなくて済みますよ」 と吉田さんからアドバイスもありました。 最近流行りのアロマもありますが、仏教で使うお香の成分には心を落ち着ける香りが選ばれているそうです。亡くなった方へ香りを捧げるという意味もあるようで、焼香や線香は「香り」が重視されるのだそう。 「煙の出ないお線香っていいんだけど、あれは香りがしないんだよ」 と名取さんが言うと、参加者の皆さんも笑顔で納得の様子でした。
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[ サンガのお茶会 の報告です ]
坊コン
2017-06-14
紫陽花が映える小雨のなか、 雑司が谷でゆったりと一昔前に戻って来ました。 のんびりした都電の駅で待ち合わせて 長屋をリフォームしたような「雑司ヶ谷 案内処」で 雑司が谷の名物の「すすきみみずく」等を拝見し いろんなお話を伺ってから鬼子母神堂へ。 鬼子母神堂さんでは 寺ネット・サンガの吉田代表のはからいもあり 特別に本堂の一番奥まで案内していただき 鬼子母神様を一番近いところでお参りさせていただきました。 本堂は貴重な文化財であり塗りと金箔が美しく 鬼子母神様の解脱の場面等の貴重な絵馬 (と言っても絵画のように大きなもの) もたくさん飾られていました。 お堂から池袋へ向かう道も静かな並木道で まるで鎌倉にでも行ったかのようです。 しかし、昔から今へのワープ回路のような小道を抜けると そこはもう池袋! 東京にもこんな不思議空間があるのですね。 そのあとはカフェでお茶会です。 今日来てみて、もっと色々知りたくなったというお話や 今話題のお墓じまいのお話。 それに関連して、 お寺とのお付き合いの難しさへの率直な意見や それならセカンドオピニオンならぬ セカンド坊主さんを持つのが良い、など 色んな意見が出ました。 また、寺ネット・サンガで基本的なことを教えてほしい というご意見もいただきましたので おおいに参考にさせていただきます!
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仏教的断捨離5~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2017-05-19
寺ネットサンガで人気の講座「坊コン」が2017年5月17日(水)に日本橋のルノアール貸会議室にて開催されました。 テーマは、心の垢おとし『仏教的断捨離』~執着はなくせば楽になる。でも、執着がなければつまらない。さて、あなたは何を「捨て」ますか? 今回は真言宗豊山派 密蔵院(江戸川区鹿骨)住職の名取芳彦(なとりほうげん)さんのお話です。 名取芳彦さんはご住職でありながら大変人気の作家さんでもあります。 『般若心経、こころの大そうじ』(三笠書房) 『こころがすっきり軽くなる般若心経』(永岡書店) 『ためない練習』(三笠書房) 『三日間で驚くほど心が晴れる本』(PHP) 『すーっと悩みが消えてなくなるコツ』(あさ出版) 『あきらめる練習』(SB新書)などなど、まさに“仏教的断捨離”な題名ばかり。ご興味のある方は是非本屋さんでお手に取ってみてください。
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仏教的断捨離4~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2017-03-13
寺ネットサンガが主催する、色々な宗派のお坊さんと気軽に話が出来る場「坊コン」が2017年3月9日(木)に日本橋ウィズ・ビジネスセンターにて開催されました。 宗派に関係なく仏教について語り合うことができるとあって毎回人気の「坊コン」です。 本日のテーマは「心の垢おとし 仏教的断捨離」 “執着無くせば楽になる!執着なければつまらない?!あなたは何を捨てますか?” お話しくださったのは、真言宗豊山派 円東寺(千葉県流山市)住職 増田俊康さん。最近はTV出演も多い増田さんは、バルーンアートやジャグリング、マジックを得意とするパフォーマーでもある楽しいお坊さんですが、一方で様々な社会活動にも真面目に取り組んでいらっしゃいます。
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仏教的断捨離3~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2017-01-28
新年を迎え初めての寺ネットサンガ「坊コン」が、2017年1月25日に日本橋ウィズ・ビジネスセンターにて開催されました。色々な宗派のお坊さんと気軽に話が出来る人気の坊コン、今回は「心の垢おとし 仏教的断捨離」の3回目です。“執着無くせば楽になる!執着なければつまらない?!あなたは何を捨てますか?” 今回、講演予定されていた名取芳彦さんがインフルエンザに罹ってしまったとのことで、急きょ永寿院住職であり、寺ネットサンガ代表の吉田尚英さんが登壇しました。お坊さんになる前は一級建築士として、建築事務所に勤務していた吉田さん。お得意の建築話題で断捨離を語りました。
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仏教的断捨離2~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2016-12-22
寺ネットサンガが主催する、色々な宗派のお坊さんと気軽に話が出来る場「坊コン」が2016年12月19日(月)に日本橋ウィズ・ビジネスセンターにて開催されました。 宗派に関係なく仏教について語り合うことができる「坊コン」。 今回は「心の垢おとし 仏教的断捨離」の2回目です。“執着無くせば楽になる!執着なければつまらない?!あなたは何を捨てますか?” 法話は臨済宗 建長寺派 独園寺住職 藤尾聡允(ふじおそういん)さんです。 藤尾さんは元銀行マン。さらに13年もの海外勤務を経験するなど異色のお坊さんです。得意の英語を生かして、ご自身のお寺や鎌倉の建長寺では海外の方に英語で座禅指導をしていらっしゃいます。 ニコニコと優しい笑顔で登壇された藤尾さん。唐突に「わたしは断捨離は得意ではないのです」のカミングアウトで会場が笑顔に包まれました。
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仏教的断捨離~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2016-09-14
寺ネットサンガが主催する、色々な宗派のお坊さんと気軽に話が出来る場「坊コン」が2016年9月12日(月)に日本橋ウィズ・ビジネスセンターにて開催されました。 宗派に関係なく仏教について語り合うことができるとあって毎回人気の「坊コン」です。 今回から始まる新テーマは「心の垢おとし 仏教的断捨離」 副題として “執着無くせば楽になる!執着なければつまらない?!あなたは何を捨てますか?” お話しくださったのは、浄土真宗本願寺派 延立寺住職 松本智量さんです。 哲学的な解釈を得意とする松本智量さんが、仏教という切り口から断捨離を語ってくださいます。 今回は女性の参加者が多く、「仏教的断捨離」という題から興味を持って参加された方もいたようです。
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石材店さんの考える「供養」
坊コン
2016-07-29
お坊さんと直接語り合える場「坊コン」が2016年7月26日に開催されました。『こんな供養は○○だ!第2弾』前回の葬儀社さんに続く今回は”石材店さんから見た供養”です。 お話くださるのは、有限会社篠田石材工業 代表取締役の篠田雅央さん。代々伝わる藍染の半纏を着て登場くださいました。お墓を立てることに直接かかわる石材店さんならではの視点から、最近のお墓の現状や供養についてお話しいただきました。 *********************************** 《「石材店の目で考える供養」㈲篠田石材店 代表取締役 篠田雅央さん》 篠田さんのご実家は創業明治22年の老舗の石材店。代々、埼玉県の三郷の地で石材店を生業としてこられました。平成4年にお父様の後を継がれ、㈲篠田石材店の代表取締役に就任した篠田さんは営業はもちろん、墓石のデザインから設計、加工までもこなします。なかでもオリジナルの墓石デザインが得意で、デザイン墓石コンテストで数々の受賞をされていらっしゃいます。 お客様の希望や想いを伺いその人らしい特別なデザインの墓石を考え、そして墓石を見たお客様が感動してくださるのが一番うれしいと篠田さんは言います。その中でも特に思い出深い墓石デザインのエピソードを紹介くださいました。 篠田さんは「このような特別なオリジナル墓石や想いを墓石に彫ることも、もしかしたら『供養』の一つになるのではないでしょうか。石材店の私が思う供養とは・・・『お墓を作ること』なのではないかなと思います。お墓にご遺骨があることで、故人との絆だったり、何かつながるものがあると思うのです」とお話しくださいました。 そのほか、石材店さんの立場から多くの葬儀・法事を見てこられた経験談や、50回忌をされた際に当時土葬された遺骨を掘り出しお墓を新しく作った方のお話を、その遺族の方が作った法事の写真集を回覧しながらお話しくださいました。 お骨となってお墓に入っても、故人がそこに存在しているという事実が、遺族にとっては癒しとなり、お墓が故人とのつながりを確かめる大切な場になると篠田さんは思うそうです。 確かに私たちがお墓参りをする時には、そこに故人がいるかのようにお墓や墓石に向かって話かけたりする行為を自然にしています。 故人となっても何処か別の次元にいるような気がしてしまうのは、日本人の死生観からのものなのでしょうか。それとも世界中の多くの人が持つ死生観なのでしょうか。 前回の葬儀社さんの考える「供養」のお話もいろいろと考えさせられましたが、石材店さんの考える「供養」のお話も大変興味深いものとなりました。
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歩いて終活・第3回寺町ウォーキング~お葬式とお寺(前編)
坊コン
2016-06-10
日蓮宗東京都南部宗務所主催、寺ネット・サンガ協力の「歩いて終活・寺町ウォーキング第3回」が2016年6月4日(土)に開催されました。 日蓮宗のお坊さんと共に様々なお寺を巡り、歩きながら終活について考えましょうというイベントです。今回は「お葬式とお寺」をテーマに蒲田から羽田周辺を歩きます。 集合場所の行方山「妙安寺」は京急蒲田駅前にあります。境内を入ってゆくと緑豊かなお庭の草木が迎えてくれました。 まず、妙安寺本堂にて、おつとめをして事故のないように回向・祈願をしてくださいました。その後、今回の行程のご説明を頂きました。三回目の今回は「私のお葬式を考える」というテーマで終活を考えながら歩いていきます。 続いて、妙安寺の市川智康住職による法話「仏教質問箱―お葬式について」を拝聴しました。 市川智康師は御年81歳。池上本門寺学頭・南無の会総務としても務めておられます。 著書には30年以上もロングセラーとなっている『仏教質問箱』や『仏さまの履歴書』『日蓮聖人の歩まれた道』『折々のこと』等などがあります。
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葬儀社さんの考える「供養」~寺ネット・サンガの坊コン
坊コン
2016-05-13
お坊さんと直接語り合える場「坊コン」が2016年5月10日に開催されました。『こんな供養は○○だ!第2弾』の今回は、葬儀社さんから見た供養について。 お話くださるのは、株式会社 蒼礼社(そうれいしゃ)代表取締役の塩田 正資さんです。 塩田さんは中学生の頃にお父様を突然で癌で亡くされて、そのあまりにもあっけない「死」に大変ショックを受けました。大学では哲学科に入り、卒業後は“人の生き死に携わる仕事がしたい”と葬儀業界に入り経験を積み、1級葬祭ディレクター資格を取得。3年前に「蒼礼社」を設立され、寺ネット・サンガに参加するようになったそうです。今回はこれまでの25年の葬儀業界での経験をもとにお話くださいました。 *********************************** 《「葬儀社の目で考える供養」蒼礼社 代表取締役社長 塩田正資さん》 ○首都圏の火葬場事情 近頃は、1週間待ちは当たり前という首都圏の火葬場の順番待ち。亡くなる方が年間130万人を超えている日本の現状がこういったことにも現れています。 このところ感じるのは直葬が多くなったなということ。データでも、関東圏では5件に1件以上が直葬になっています。ひと昔前は朝9~10時頃と昼の2時~3時頃は比較的空く時間帯でした。なぜかというと、通常の仏教形式での葬儀の場合は、丁度その時間帯が葬儀の最中に当たるからです。しかし、ここ数年は直葬をする方でその時間帯が混んできました。 以前は、主に身内のいない方や経済的な理由のある方が直葬を選択していたようですが、最近は特にそういった理由もなしに直葬を選ぶケースが少なくないのです。直葬を望む方は、コストパフォーマンスで葬儀を考えているのかもしれません。「葬儀はその場限りのもので、後に残るものではない」と思うのでしょう。でも本当にそうでしょうか。 ○亡くなり方によるその後 病院で亡くなる、自宅で亡くなる、「ピンピンコロリ」で亡くなる。 あなたはどれで亡くなりたいと思うでしょうか。病院で亡くなった場合は、その後の段取りがすんなりと進みます。 ところが、「ピンピンコロリ」の亡くなり方というのは、いわゆる突然死なので警察が介入します。亡くなる原因が判明するまで監察医が調べるのです。事件の可能性や伝染病の可能性もあるわけで、死因がわかるまでは家族も会うことができないのです。あとのことを考えると「ピンピンコロリ」という亡くなり方は実は大変なのです。 ○自分の大切な人をどのように送りたいか? 昨今の「終活」では”自分の最期”をどう考えるかといったことが話題になります。なぜか自分の事ばかりを考えようとします。しかし、葬儀は大抵ご遺族の希望が優先し、亡くなった方ご本人の望み通りにはいかない事もあるものです。 ご遺族が決めたことに葬儀社は逆らえません。 私は常々「自分の大切な人をどのように送りたいか」ということをもっと考えても良いんじゃないかと思っています。今日はこの後、このテーマで皆さんに話し合って頂こうと思います。 塩田さんのお話は、死後のご遺体の様子やエンゼルメイクの事などにも及びました。最後に塩田さんは「この文章から何かを感じ取ってくだされば・・・」と、東山魁夷氏のエッセー『風景との巡り合い』より“風景開眼”の中の冒頭の一章を朗読してくださいました。 以下はその文章中の一文です。 「私は生かされている。野の草と同じである。路傍の石と同じである。生かされているという宿命の中でせいいっぱい生きたいと思っている。せいいっぱい生きるなどということは難しいことだが、生かされているという認識によって、いくらか救われる」 東山魁夷「風景との巡り合い」より
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店で供養を探す人達~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2016-03-17
2016年3月14日(月)、寺ネット・サンガ主催の「坊コン」が開催されました。 「こんな供養は○○だ!第2弾」の今回は「供養迷子・店で供養を探す人たち」と題して、主に手元供養について語りあいました。 都内一の品揃えを誇る手元供養店の店長さんが「店で供養を探す人達」が手元供養に何を求めているのかを、現場での体験談を中心にお話くださいます。ご講義くださった樋口清美さんは、手元供養店の店長であり、一般社団法人 供養コンシェルジュ協会・理事も務めていらっしゃいます。果たして宗教を持たない人たちはどんな供養を求めているのでしょうか。 *供養コンシェルジ協会のHPはこちら ⇒ http://kuyou365.net/
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キリスト教と供養~寺ネット・サンガ「坊コン」
坊コン
2016-02-07
2016年最初の坊コンが2月2日に開催されました。今回は仏教のお坊さんとキリスト教の牧師さん、神父さんが参加という前代未聞のサンガの会。 2014年にも、仏教ひとまわりツアーの番外編として目白の日本聖書神学校を訪問し、クリスマスのお話などを伺ったことがありましたが、今日はサンガの坊コンに日本基督教団の牧師さんが7名、信徒さん1名と東方正教会の神父さん1名が参加してくださいました。 超宗派ならぬ超宗教の「坊コン」は満席。お坊さんたちもいつにも増して真剣な面持ちです。 『供養とは』をテーマにしている坊コンですが、「供養」についてキリスト教徒の立場からお話して頂きます。お話くださったのは、新宿にある 日本基督(キリスト)教団 新宿コミュニティー教会牧師の中村吉基(なかむらよしき)さん。 【中村吉基さんのお話・キリスト教と『供養』】 「私達は『供養』という言葉は使わないのですが、『供養』という言葉を調べていくうちに、キリスト教ではこういうことに当たるのかなと思われることを、今日はお話しようと思っています」と中村牧師は優しい語り口で話し始めました。 ○聖徒の日(11月第一日曜日)、諸聖人の日の話 キリスト教では、死者は神の手に抱かれていると考えているので、亡くなった方が迷わず成仏するように「冥福を祈る」というような考え方はありません。その為「死者を憶える」とか「記念する」という言い方をします。特定の故人を記念する「記念会」と呼ぶ集会を開くのが仏教の法事にあたるかと思います。 キリスト教では古来から、葬儀後に死者を「記念する」事をいろいろな形で行ってきました。その中で殉教者や聖人を記念することが始められます。5世紀以降に聖人の日が1年を通してまとめられますが、同じ日に複数の聖人が重なることが出てきたことから、東方正教会では聖霊降臨日(ペンテコステ)の次の主日を「諸聖人の日」と定めます。西方教会(カトリック)では5月3日など変遷を経て、700年代に11月1日と定められました。因みにこの「諸聖人の日」前夜が「ハロウィーン」ですが、キリスト教の行事ではなく、ヨーロッパなどで異教的な風習だったものが世俗的な祭りになっていたものです。 西方教会(カトリック)では、諸聖人の日に「死者の為のミサ」が捧げられます。ミサの冒頭に唱える言葉が「永遠の安息を(Requiem aeternam)」という言葉から始まることから「レクイエム」と呼ばれています。 日本基督教団(プロテスタント)では、死者を一般記念する日として「聖徒の日(11月の第1日曜日)」に、各教会で特別な礼拝が捧げられます。日本の場合は家族の中で個人だけがクリスチャンであることも多く、その為聖徒の日に遺族を招いて礼拝を捧げたり、故人の写真を礼拝堂に並べたり、礼拝の中で故人の名前を読み上げたりといった様々な礼拝を捧げています。 また、春・秋のお彼岸に合わせて「追憶記念礼拝」を開くなど、日本の慣習に合わせて各教会の裁量で行事を行ったり、イースター(復活祭)には各教会の教会墓地や納骨堂などにおいて墓前礼拝を捧げたりしています。 ○プロテスタントでも「手元供養」 中村牧師は「手元供養」など、故人を記念できるようなものがここ数年多くなったように感じているのだそうです。 カトリックや東方正教会の家庭には家庭用祭壇があり、キリストやマリア像、聖人の像、イコンが飾られたりされますが、プロテスタントでは、像などは基本的に持たない、形に表さないシンプルな場合が多く、多くの家庭でも写真と聖書とが本棚やサイドボードのような所に置かれていることが見受けられます。しかし、最近はキリスト教のグッズを売る店などに「手元供養」の業者が制作した家庭祭壇が売られていたり、遺骨を入れられるペンダントや位牌までもがあるそうです。教会では個々の家庭の裁量に任せているそうですが、そういうものが売られる背景には、どこかで死者を記念したい、祈りたい、といった思いの現れ、ニーズのようなものがあるように思うとおっしゃっていました。 ○日本独特のキリスト教団のはなし 仏教も色々な宗派があるように、キリスト教にも様々な宗派があります。明治以降、日本で生まれたキリスト教(教団)は10以上あります。代表的なものは内村鑑三らの儒教的キリスト教などですが、これらに共通するのは「先祖供養」「神道の儀礼」などを取り入れているところだ、と上智大学のマーク・R・マリンズ先生は著書に書いているそう。日本独特のキリスト教が「土着運動」として発展したところが大変興味深い点です。 中村牧師はマリンズ先生の著作「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」も参考にと紹介くださいました。 *参考図書:マーク・R・マリンズ著「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」
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心に残るあの供養~寺ネットサンガ「坊コン」
坊コン
2015-12-18
寺ネットサンガが主催する、宗派を超えて色々な宗派のお坊さんと気軽に話が出来る場「坊コン」が2015年12月15日に日本橋ウィズビジネスセンターにて開催されました。2015年の坊コンは「こんな供養は○○だ!」と題して全6回が行われましたが、今回はその総まとめです。 今日のお話は、寺ネットサンガの代表でもある大田区永寿院ご住職、吉田尚英さんです。「そもそも供養ってなんだろう」という基本に立ち返ってみようと始まった2015年の坊コン。この1年間を振り返って「こんな供養は○○だ!」のまとめと、吉田ご住職ご自身が今まで経験されてきた中で、特に心に残っている供養についてお話を伺いました。 ***************************************** 《「心に残るあの供養」東京都大田区日蓮宗永寿院住職 吉田尚英さん》 ○「供養とは何だろう」と若い方は思いがちだと思います。 年老いた親御さんを亡くした場合などはそれなりに受け入れられるのでしょうが、お子さんを亡くしたり、若い伴侶を亡くしたなどの逆縁の場合は、非常に深い悲しみで心に重荷を負うものです。 そういう方にとっては我々僧侶が行って手を合わせるだけでも、随分ホッとして安心してもらえる場面が多々あります。また、葬儀で初めて会う施主さんが私を見て「ああよかった住職が来てくれたらもう大丈夫だ」と安心して涙を流してくれた時などは、袈裟を着て頭を刈ってお勤めをしに行く僧侶としての立場が、安心感を与えたり、ご遺族を慰めることに繋がるのだと実感します。 最近は仏事全般が縮小傾向にあります。20年前は20~30名の規模が一般的だった行事規模は10名以下がほとんどになって来ているのだそうです。 高齢化で一般に長命になり、長生きすればするほど知りあいは先に亡くなったりすることから、身内だけの葬儀が多くなっていきます。その他、少子化の影響や葬儀社が家族葬を勧める傾向にあることも一因だと感じます。 短縮化、簡略化された葬儀では、僧侶は個室に案内されて出番まで待ち、お経をあげてほどなく帰途に就くというような場合もあるのだそう。そんな葬儀の簡略化により僧侶と遺族との関係性も希薄になりつつあります。大きな駐車場を併設した大きな斎場などでは、ノンアルコールビールが普通に出されるなど、お酒を酌み交わしながら故人を偲ぶ機会も少なくなっているそうです。そんな中でも僧侶は、出来るだけ自分から積極的に遺族の方とのコミュニケーションを取るように心がける必要があるでしょう。。 通夜や葬儀というのは世代交代の場でもあり、代替わりをする家庭の状況を知る大切な機会ですから、僧侶は積極的に話を聞いたり話をしたりということが大切なのではないかと思います。そしてそれが、亡くなった方の思いを繋ぐという意味でも大きな役目を果たすことになるのではないでしょうか。 死生観は、大切な方が亡くなった時に改めて感じるものです。 丁寧なご供養をすることによって、参列している方にも、亡き方にも伝わるのではないかと思いながらお題目を唱えています。
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死生観~寺ネット・サンガ「坊コン」
坊コン
2015-11-13
寺ネットサンガが主催する、お坊さんと直接語り合える場「坊コン」が11月10日(火)日本橋にて開催されました。全6回で行われる坊コン「こんな供養は○○だ」の今回のテーマは『死生観』です。 本日お話くださるのは、江戸川区にある真言宗豊山派密蔵院の住職である名取芳彦(なとりほうげん)さん。名取さんと言えば、仏教のエッセー本を何冊も出版されているお坊さんです。東京小岩の下町生まれらしく、江戸っ子口調の語り口の法話はユーモアにあふれファンも多数。ご自坊ではご詠歌の会をはじめ、写経や読経、朗読会など様々な活動をされています。今日は「死生観」という難しいテーマの法話です。 ******************************************** 《真言宗 密蔵院住職 名取芳言さん「死生観」について》 「お釈迦様が出家した理由というのが「生・老・病・死」の「四苦」だと言われています。「苦」とは自分の都合通りにならないことで、その代表格が「生・老・病・死」。お釈迦様はそれを何とかしたいと思ったのでしょう。”「苦」を「苦」と思わなければいい”、つまり「自分の都合通りにしたいと思わなければ苦は減るじゃないか」というのが仏教の考え方となったのです」 江戸っ子口調の名取節で、競馬に勝つために俺も写経をしようかなと言った人に対して、「競馬に勝つために写経をするんじゃあないんだよ。競馬に負けても悔しくない心でいるために写経をするのさ」といった面白いエピソードに会場も大笑い。 「死後のこと」はお釈迦様もわからないと言っているというお話をされたのち、仏教以前の日本人の霊魂観念について曹洞宗の中野東禅先生の講義を参考にお話くださいました。 『死者は荒ぶる恐怖霊だが、時間をかけて浄化され(あるいは浄化し)草葉の陰や山の樹に住み、親しい祖先となって子孫を守り、さらに時間をかけて祖霊となって、時々山から戻ってくる』これらはフィリピンの漁労文化や北方の針葉樹林帯文化、華南の稲作文化などの複数の文化が混ざり合って出来上がった考え方なのだといいます。実は、私達がお葬式後に一般的に行っている百ヵ日忌や一周忌、三周忌などの追善供養は、道教や儒教の影響を受けながら日本独特の仏教になってきたものだそうです。東洋の果ての日本には、北からも南からも、さらには西の大陸からも色々な文化が流入して、私たちの死生観に影響を与えてきたのだとお話くださいました。 そのほか「三十三回忌」とは、故人が個性を失って祖霊の仲間入りをする時期。死者を供養するに当たり、霊に対して感謝型の供養と、霊の祟りを恐れ、恐怖霊を鎮める為に供養の二つがあること。名取さんご自身は、できれば「祟り型」よりは「祖霊感謝型」になって欲しいと思っていることなどを、わかりやすい例えと楽しい話術を交えてお話くださいました。 前半は「死生観」の「死」をメインに話をされ、後半は「生」についてのお話です。 名取さんはご自身が20代の頃、お母様が癌を患ったことをきっかけに「癌患者の会」に行ったそうです。そこで40代で癌になった若い僧侶の話を聞いたそうです。死を前に暗い顔をして沈み込んでいた彼が父親からの手紙を読んで勇気を取り戻します。その手紙には一言「生きてる間は、生きてるぞ」と書いてありました。今までの暗い顔を一変させて「生きている間は生きているんだ!」と笑顔になった若い僧侶のその言葉は、今も名取さんの心に響いているのだそうです。 そのほか、名取さんご自身のお父様が亡くなる直前まで書き残された、たくさんの言葉やを詩歌を素敵なエピソードと共に紹介くださいました。 名取さんご本人の体験や、ご身内の書を拝見しながら法話を伺っていると、お坊さんといえども、私達と同じ目線で「死」を見つめ、現在に生きる同志の一人なのだと実感しました。名取さんは一人の宗教者でありながらも、私達在家の方へ歩み寄ってくださっているのを感じたひとときでした。
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お骨のゆくえ~寺ネット・サンガ「坊コン」
坊コン
2015-09-30
お坊さんと直接語り合える場「坊コン」が9月25日(金)日本橋にて開催されました。 全6回で行われる坊コン・供養シリーズの今回のテーマは「お骨のゆくえ」です。 《大阪市 興徳寺(真言宗)青木隆興さんのお話》 「関西方面、大阪周辺の一事例として聞いてください。仏事というのは決まったマニュアルがあるわけではありませんので、そこはご承知おきください。 多少地域差もあるのですが、”納骨”ということで言いますと、関西方面では骨壺からお骨を取り出して、さらしの袋に入れ替えてそれをお墓に入れるのが一般的です。骨壺は入れません。さらしの袋と骨が溶けて土に帰りやすいからというのがその理由です」と青木さん。 関東では大きめの骨壺の中にすべてのお骨を納めますが、関西では大体のお骨を小さめの骨壺に入れたら、残ったお骨は火葬場の骨塚に納めます。京都と大阪でも骨壺の大きさに違いがあるそうなので一概に関西地方全般とは言えないそうですが、関東と関西でそんなに違いがあると聞いてとてもビックリしました。 大阪の「一心寺」は、納骨されたお骨を使って阿弥陀如来を作っている浄土宗のお寺です。10年に一度、集めた十何万体ものお骨で一つの仏様を造っているそうです。 一心寺は納骨料が安価な点も人気の理由だそうですが、納めるお骨が大きいほど費用も高くなるといったシステム。お値段によってお骨の扱いが違うなどのクレームも耳にするそうです。一心寺のお話を伺って、関東と関西のお骨へ対する意識の違いを感じた参加者は多かったのではないでしょうか。 色々な納骨の方法がある昨今ですが、青木さんは『仏事というのは誰に向いてしているか?』が問われるといいます。「自分の都合ばかりでなく、亡くなった方にどうなって欲しいか?と思うと必然的に答えが出てくるのではないでしょうか」とおっしゃっていました。
寺ネット・サンガのイベント
「坊コン」
オフィス街でお坊さんとコン談!コン親!コンパ!急な参加も歓迎!定番人気の仏教入門イベントです。
「仏教ひとまわりツアー」
お坊さんたちと一緒に仏教ワクワク体験イベント!宗派宗教を超えて、次はいずこへひとまわり?
「その他の特別イベント」
番外編の特別イベントです。楽しんでいただけたかな?またの機会をお楽しみに!