寺ネット・サンガ 過去のイベント一覧
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お骨のゆくえ~寺ネット・サンガ「坊コン」
坊コン
2015-09-30
お坊さんと直接語り合える場「坊コン」が9月25日(金)日本橋にて開催されました。 全6回で行われる坊コン・供養シリーズの今回のテーマは「お骨のゆくえ」です。 《大阪市 興徳寺(真言宗)青木隆興さんのお話》 「関西方面、大阪周辺の一事例として聞いてください。仏事というのは決まったマニュアルがあるわけではありませんので、そこはご承知おきください。 多少地域差もあるのですが、”納骨”ということで言いますと、関西方面では骨壺からお骨を取り出して、さらしの袋に入れ替えてそれをお墓に入れるのが一般的です。骨壺は入れません。さらしの袋と骨が溶けて土に帰りやすいからというのがその理由です」と青木さん。 関東では大きめの骨壺の中にすべてのお骨を納めますが、関西では大体のお骨を小さめの骨壺に入れたら、残ったお骨は火葬場の骨塚に納めます。京都と大阪でも骨壺の大きさに違いがあるそうなので一概に関西地方全般とは言えないそうですが、関東と関西でそんなに違いがあると聞いてとてもビックリしました。 大阪の「一心寺」は、納骨されたお骨を使って阿弥陀如来を作っている浄土宗のお寺です。10年に一度、集めた十何万体ものお骨で一つの仏様を造っているそうです。 一心寺は納骨料が安価な点も人気の理由だそうですが、納めるお骨が大きいほど費用も高くなるといったシステム。お値段によってお骨の扱いが違うなどのクレームも耳にするそうです。一心寺のお話を伺って、関東と関西のお骨へ対する意識の違いを感じた参加者は多かったのではないでしょうか。 色々な納骨の方法がある昨今ですが、青木さんは『仏事というのは誰に向いてしているか?』が問われるといいます。「自分の都合ばかりでなく、亡くなった方にどうなって欲しいか?と思うと必然的に答えが出てくるのではないでしょうか」とおっしゃっていました。
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仏教ひとまわりツアー 港区「明王院」護摩祈祷
仏教ひとまわりツアー
2015-08-31
寺ネットサンガ主催の人気企画「仏教ひとまわりツアー」も第7段を迎えました。第7段は「深遠(ディープ)な寺めぐり ~甚だ深い仏の教え、そーっとのぞいてみませんか?」と題して、色々な体験を盛り込んだ、ちょっと深めなお寺めぐりツアーです。その第1回が2015年8月29日(土)、港区三田の真言宗のお寺、五大山明王院不動寺にて開催されました。 真言宗と言えば、厳しい護摩修行を思い浮かべる方も多いかと思いますが、なかなか他宗派の方にとっては縁遠い存在の護摩祈祷。それを目の前でお参りできる貴重な機会が今回のツアーの目的です。ただでさえ暑い夏なのに~さらに火を焚いてご祈祷?!はい!今回のツアーテーマは「ホットな夏にお護摩の炎で厄払い」なのです。残暑に炎の暑さも加わって厄払いも効果が増しそうな気配。 さて、お護摩の祈祷法要を行ってくださるのは真言宗豊山派の明王院の市橋杲潤(いちはしごうじゅん)師。 実は、三田界隈はお寺が沢山ある場所の一つ。お寺が並ぶ一角に明王院はありました。古くは江戸時代に八丁堀にあった大師様とお不動様を当地に移したそうで、「厄除け大師」として江戸の昔から大切に守られてきたのだといいます。他にも本堂には、当時氾濫した川の竜を退治したという伝説と共に、竜頭の骨とされるものがお祀りされ信仰の対象とされてきたのだそうで、文化文政よりも古い時代のものらしいとのことでした。
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「坊コン」「こんな供養は○○だ!」
坊コン
2015-07-27
お坊さんと直接語り合える場た寺ネット・サンガ「坊コン」が7月23日(木)築地本願寺の聞法ホールにて開催されました。 東京都内では7月のお盆が終わったばかり。いよいよ来月からは月遅れのお盆になるということで、テーマは「供養にまつわる行事、お盆について」です。 今回は浄土真宗、日蓮宗、浄土宗、真言宗の各宗派のお坊さん5名が参加されました。同じ仏教でも各宗派によってお盆に対する考え方や供養の仕方も違いがあるそうです。聴講者はもちろんですが、参加された僧侶の皆さんも他宗派のお盆のお話に興味津々で聞き入っていらっしゃいました。 本日のプチ法話は、八王子市延立寺住職(浄土真宗本願寺派)松本智量さん。供養の一大行事「お盆」にスポットを当てたお話です。 《松本智量(まつもとちりょう)さんのプチ法話のあらまし》 皆さんが今日きてくださった、この築地本願寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。浄土真宗はお盆に対する考え方が独特です。実は浄土真宗では「浄土」は「あの世」ではないと考えます。「浄土」とは私たちのこの世界を丸ごと包んでいくださっている世界なのです。ですから、「浄土」はこの世と一緒にあるものですので、「浄土に行った」ということは「私達と四六時中一緒にいる」ということなんです。なので、3日間だけこの世に帰ってくるということもありません。浄土真宗では「お盆」は我が身を振り返る機会と捉えます。 「お盆」の正式な名称は「盂蘭盆(うらぼん)」といいます。単に漢字をあてはめたものです。語源は2説あり、イランの言葉で「死者」を意味する「ウルヴァン」という言葉から来たという説。もう一つは、サンスクリット語で「ウランバナ」(=”逆さに吊るされたような苦しみ”という意味)から来たという説です。このウランバナは「仏説盂蘭盆教」というお経が元になった目連尊者の母の話が有名ですが、日本では、この「ウランバナ」説が有力なようです。 ************************************* ○目連尊者のはなし 目連尊者が神通力で亡き母を探すと、餓鬼道で苦しむ母を見つけます。ご馳走が沢山あるが、手を伸ばした途端にそれらが炎となって消え失せる、それが永遠に続くのが餓鬼の世界。それを見た目連は何とかしたいとお釈迦様に訴えます。すると「お前の母はお前が可愛いばかりに、周りを押しのけてお前を育てたのではなかったか」と言われてしまいます。そして、母を助けたいなら、安居の最後の日(7月15日あたりのこと)に、修行を終えた僧たちに三宝の教えに従って施しをするようにと言われます。目連は言われた通りに僧たちへ食事を施し供養しました。その甲斐あって母は救われ無事に往生できたということです。 ************************************** 松本住職は「この話の中で「ウランバナ」=逆さに吊るされた苦しみ を味わっているのは誰でしょう?」と質問されました。 「お母さん?いいえ、お母さんではありません。実は、苦しんでいるのは目連自身なのです。逆さに吊るされた苦しみとは、逆さに吊るされた自分の状況を考えず、今の自分の苦しみは人のせいだと苦しみの原因を他に求めます。物事を逆さに見ているから苦しいんじゃないのか。というお釈迦様のお諭しによって、目連はそんな自分に気づいたのではないでしょうか。 物事を逆さに見て、敵を作って、あるいは苦しみを他に求めて人のせいにする。そういうあなたではないですか?ということを気づかせてくれるのが、お盆の行事の本来の意味であり、お釈迦様が言いたかったことは「多くの人に施し、供養をしなさい」ということなのです。これはお盆の時期に関わらずなのですが・・・」 あまりに身近な存在の「お盆」ですが、夏休み、帰郷する時期という意識の方も多いと思います。今回の松本住職のお話を伺って、改めて「お盆」の本来の意味を知り、果たして私は自分の苦しみを人のせいにしていないか?と考える機会となりました。今の自分があるのはご先祖様のお蔭、と感謝をして今年のお盆を過ごしてみたいと思いました。
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仏教ひとまわりツアー「まちのお寺の学校めぐり」高應寺
坊コン
2015-06-14
2015年6月10日(水)、「仏教ひとまわりツアー」第6段第3回が開催されました。寺ネット・サンガ&まちのお寺の学校のコラボ企画です。「まちのお寺の学校」では「まちのみんなが自由に学び、集う場所」としてお寺を開放し、各種講座を開講しています。 今回「仏教ひとまわりツアー」で訪れた「まちのお寺の学校」は、埼玉県三郷市にある「高應寺」。400年程の歴史のある高應寺は学問寺として三郷の人々に慕われてきたお寺です。若いママさん住職の酒井菜法さんが笑顔で迎えてくださいました。4月に剃髪をされたばかりとのことで大きな瞳がキラキラと輝く可愛らしいお坊さんです。 【瞑想&ホタルの夕べ】と題した今回の仏教ひとまわりツアー。高應寺境内には小さな池があり、鯉も泳いでいます。風が木の葉を揺らす音と共に、水のせせらぎがサラサラと耳障りよく響き、ホッと心が癒されます。まずは、酒井菜法住職のご挨拶がありました。会社員のご主人と結婚して3人のお子さんを持つ酒井住職は、仏教学者でもあるお父様の前住職から後を引き継いだばかり。日蓮宗では女性の剃髪は義務ではないのですが、住職就任という節目を迎えるにあたって、剃髪をすることに決めたていたのだそう。3人の子育てに奮闘するママとして、また、女性僧侶としての想いを語ってくださいました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「こんな供養は○○だ!」
坊コン
2015-05-25
お坊さんと直接語り合える場「坊コン」。 『こんな供養は〇〇だ!』をテーマに、全6回行われる坊コンシリーズの第3回目が、5月21日に行われました。今回のテーマは「クヨクヨしない供養 仏壇と位牌について考えよう」です。 プチ法話は横須賀市 独園寺副住職(臨済宗建長寺派)藤尾聡允(ふじおそういん)住職。「心」に焦点を当てて『供養』についてお話をしてくださいました。大きな紙に手書きで説明のための資料を作ってきてくださった藤尾さんは優しい笑顔の禅宗(臨済宗建長寺派)のお坊さんです。海外在住13年の元銀行マンという異色の経歴の藤尾さん。お寺では得意の英語を活かした外国人向けの座禅会が人気です。 《藤尾聡允(ふじおそういん)さんのプチ法話のあらまし》 「皆さんのご先祖様はいったい何人くらいいると思いますか?」藤尾さんが手に持った絵本には、何人もの人が集まっている様子が描かれていました。 「ちょっと遡っただけでも多くのご先祖様がいて、さらに何千年もさかのぼると数えきれないほどのご先祖様がいらっしゃるのです。どの方もそれぞれの時代を生き抜いた方です。これらのご先祖様が今いるところ、それが天国、浄土や極楽などと呼ばれる所なのです。そして、それらの場所に魂をお送りすることが仏教などの宗教の葬儀の作法です」と『宗教葬』書かれた文字を指しながらお話くださいました。 ○宗教葬・無宗教葬 「『宗教葬』はそれぞれの宗教を拠り所として行われるものです。”自然葬”などは宗教とは違うと思われがちですが、実は宗教に近いもの。なぜなら宗となる教えが宗教の本質であり、人を安心させるものは宗教という範疇に入るからです」 ”直葬”でも、家や炉の前でお経をあげてから火葬する場合は「宗教葬」の簡素化したものと捉えられるのだそう。この場合「魂は空(くう)になる」という理念があるので、どちらかというと宗教の範疇に入るのではないかと藤尾さんはおっしゃいます。 「一方で『無宗教葬』というものがあります。”千の風になる”、”音楽葬”などがそれにあたります。無宗教ではあっても、自分なりの信条や哲学に基づいて弔います」 ところが最近、供養せずに直接散骨したり納骨してしまうなど、何の理念もなく「直送」される方が、後々スピリチュアルクライシスに陥るケースが増えているのだと、藤尾さんは説明くださいました。供養しなかったことに対する後悔から、お寺を頼って駆け込んで来たり、親族とトラブルになって葬儀社に相談したりといったことも。藤尾さんのお寺でも去年は8件もあったのだそうです。 ○命の教え 「生きていれば一生に一度や二度「死にたい」と思うほどの辛い事があるものです。でも、そんな時に心を立て直す核となってくるのは、身近に自分を愛してくれた人との想い出です。特に、子どもにはそういった体験が大切です」と藤尾さんはいいます。 「優しいおばあちゃんの死を目の当りにしたら子どもを悲しませてしまうと、お葬式に連れてこない親もいるそうです。でも、最初は「死」を怖いと思うかもしれないけれど、死をもって「命」を教えてくれるおばあちゃんのメッセージを、子どもに体験させてほしいのです。そういった悲しみの体験から、亡くなっても見守ってくれる存在があるのだということを実感することが出来るのですから。オレオレ詐欺等をする犯人たちの生い立ちを調べてみると、ほぼ100%葬儀体験がないのだそうです。あるいは墓参りの経験もないのだといいます」 そのことを藤尾さんは警察の勉強会で知りました。「人の死を経験していれば、お年寄りを騙すことなど考えないでしょう。子どもは親の背中を見て育ちます。お墓にお参りに行く、供養をする、ということをもっと大切に考えて欲しいと思います」とおっしゃっていました。 「誰でもみんな思いやりの種を持っています。でも、涙を流さなければ思いやりの種からは芽が出ませんし、花も開きません。親が自分の親を敬う姿や、親の死に涙を流している姿を子どもに見せることで、その子どもにも親を敬う気持ちが育まれるのではないでしょうか。 ”命の教え”という観点からも、是非何らかの供養は継続的に行って欲しいですし、お墓があるなら、子どもにもお墓参りを体験をさせてあげて欲しいと思います」と藤尾さんは結びました。
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4/15 仏教ひとまわりツアー「死の体験旅行」の報告
仏教ひとまわりツアー
2015-04-18
自分の「死」を疑似体験しながら、 普段は考えない自分の心を見つめる企画「死の体験旅行」が、定員20名、一人の遅刻もなく集合し開催されました。 今回は体は動かず、心とイメージで行うツアーです。 会場は西新宿のビル街にあります浄土真宗本願寺派淨音寺。 お寺に見えない外観ですが、室内はヒノキの香りが広がる温かみのある空間です。 「死の体験旅行」というと中には最近はやりの「入棺体験」のようなものと勘違いされていたかたもいたようで、さぞ驚かれたと思います。 ファシリテーターの浦上さんの落ち着いた通る声が皆の心と脳に深くしみて行き 途中で色々な感情が湧き上がったかたも多かったと思います。 内容は、今後別の場所で受ける方もいらっしゃるので、ここでは詳しく書くことはしませんが、寺ネット・サンガで取り上げるにしては、かなり深い企画ではありました。 最後に淨音寺の高山住職から、 今日の結果は「今」の結果であり変わっていくこともあるというお話をいただき、 人の想い、ということを改めて考えました。 このプログラムは、なごみ庵の庵主 浦上哲也さんが講師として開催しているワークショップです。 今回逃したかたは、こちらからどうそ。 http://www.machitera.net/project/spirit_body/death/
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仏教ひとまわりツアー「まちのお寺の学校めぐり」妙勝寺
坊コン
2015-03-02
2015年2月27日(金)、「仏教ひとまわりツアー」第6段第1回が開催されました。寺ネット・サンガ & まちのお寺の学校のコラボ企画です。「まちのお寺の学校」では、「まちのみんなが自由に学び、集う場所」としてお寺を開放し、各種講座を開講しています。 今回「仏教ひとまわりツアー」で訪れた「まちのお寺の学校」は、東京都江戸川区にある「妙勝寺」。 徳治2年(1307)に開山し、700年余の歴史を持つ妙勝寺は区内でも歴史ある古刹として知られています。古川親水公園にほど近い、約4,000坪と大きなお寺です。 境内は自然豊かな美しい景観で、散歩に訪れる地域の方々も多いそうです。広い境内には梅もちらほらと咲いていました。 ツアーの最初に、妙勝寺住職の高松孝行さんからご挨拶がありました。 高松住職は「まちのお寺の学校」をはじめ、地域や社会に開かれたお寺を目指し、精力的に活動なさっているお坊さんです。 セミナーやイベントの会場など、人の集う場所としてもお寺を開放しています。 テキパキとしたお人柄で、「今日は時間も迫っておりますので、さっそくお札作りを始めましょう」と、ワークショップが始まりました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「こんな供養は○○だ!」
坊コン
2015-03-07
2015年3月3日(火)、寺ネット・サンガ主催の「坊コン」が開催されました。 今回のテーマは「宗教・無宗教」 神奈川県平塚市の浄信寺(浄土宗)のご住職、吉田健一さんによるプチ法話、供養コンシェルジュの佐藤清美さんのお話です。 今回は「宗教・無宗教」というテーマでお話頂きました。大学を卒業してすぐに葬儀社に就職した経験を持つ吉田健一さんならではのお話もあり、楽しい語り口に笑いも飛び出す和やかな雰囲気の法話となりました。 《浄信寺住職(浄土宗) 吉田健一さんによるプチ法話のあらまし》 日本人の多くはお正月には初詣に行き、お彼岸やお盆にはご先祖様が帰ってきて、クリスマスもしますが、それらは西洋の「宗教」を持つ人々にとっては理解しがたい事です。でもそういう日本独特の信仰形態は「宗教」という言葉では括りきれません。私はそれをポジティブに「非宗教」「超宗教」ととらえています。という吉田さん。 ご遺体の前で自然に手を合わせる行為にはどのような意味があるのかというお話が続きます。 「供養とはなんでしょうか?岩波仏教辞典には『尊厳をもって、ねんごろにもてなすこと』と書かれています。手を合わせ祈る行為は、目の前にいる『その人』の後ろにある人生や『その人』の死を悼む家族などを想うことで、死者の尊厳を恢復する作業だという風に思うのです。東日本大震災や御嶽山噴火などで亡くなったご遺体へ自然と手を合わせる救助の方々の姿がありました。自然界の前で人は儚い存在であり、亡骸は時には損傷が激しかったり、泥まみれになってしまっていたりと「人としての尊厳」は著しく失われていることもあります。しかし、無慈悲にも木の葉のように散らされてしまった「人としての尊厳」を恢復させる事が出来るのもまた、人間なのです」 吉田さんが葬儀社で働いていた時に「ご遺体が怖くないのですか?」と言う質問をよくされたのだそうです。そんな話から死への恐怖についてお話が続きます。 「死体が怖いと感じるのは、意味を失ったものに対する漠然とした恐怖なのではないか。 一方で、ご遺体はそのご遺族にとっては『恐怖』ではなく『混乱』ではないか。 誰とも代替が出来ないかけがえのない存在である愛する人を亡くした悲しみは、心の半分を削がれてしまったような喪失感をもたらします。そのような人にとって『(社会的な基準)死んでいるけど(宗教的な基準)死んでいない』という状態を受け入れることはとても大切なことだ。これは一見矛盾だけれど同居可能であり、そこに宗教者が加わることの意味があるのではないか」と。 吉田さんはよく葬儀の場で「お葬式はお別れ会ではないのです。これからまた新しく故人様とのご縁を結び直していくのです」と話をするのだそうです。 「物語を共有する人がいなくなった悲しみを抱えながら生き続ける人に大切なのは、死者との関係性を新たに再構築していくことであり、そのための変換作業が『お葬式』なのだ。 また、葬送儀礼によっても割り切れない後悔を背負ってしまう人もいて、死別後の後悔が今の自分を苦しめることもあります。 お墓へお参りに行ったり、仏前で手を合わせることで、少しでも気持ちが和らぐのであれば、そういった気持ちを表現する場があることや、表現する方法があることは大切だと思うのです」 最後に、「そんな此岸と彼岸を繋ぐツールとしての供養を、『尊厳をもって、ねんごろにもてなすこと』という思いを込めて行ってゆくことで、故人がいつでも生者を見守る、まさに『仏』のような存在になっていく。そして、それは未来の私の姿でもあるのです。つまり、供養をする姿を通して、私もこの世を旅立った後は彼らにとって見守り続ける存在となるのだということを伝えることにもなります。それが日本人の死生観なのではないでしょうか」と結びました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「こんな供養は○○だ!」
坊コン
2015-01-17
2015年1月15日(木)、寺ネット・サンガ主催の「坊コン」が開催されました。 今回は「供養とは何だろう」ということについて語り合いました。 本日のプチ法話は、大田区永寿院ご住職、日蓮宗の吉田尚英さんのお話です。 仏・法・僧の三宝に対する供養や故人への追善供養があるというお話から始まりました。 仏・法・僧をオーケストラに例えると、教えを説いた「仏」は作曲者・いのちの真理ともいうべき「法」は楽曲・正しい教えに導く「僧」は指揮者にあたるのではないか。この三つが揃ってこそ、本物のいのちの調べが奏でられるのだろうということです。 故人に供養をするときに「心さえこもっていればお坊さんは呼ばなくてもいいのでは?」「形だけの供養は要らない」という声を耳にします。 どんなに演奏者が心を込めて演奏しようとしても、「作曲者・楽曲・指揮者」がよくなければ心に響く演奏はできません。 供養も同じことで、本物の「仏・法・僧」が揃ってこそ本当の供養ができる。 ご遺族の大事な想いを故人に届けられる本物の僧侶になりたいと語ってくれました。 ○供養は双方向 供養の現場で、吉田さんは特に感じることがあるそうです。 それは「供養は一方通行ではなく、向こう側からも返してくれる」ということです。 吉田さんのお寺「永寿院」では、約十年にわたって、江戸時代の大名家のお墓「万両塚」、古墳や弥生時代の遺跡などの発掘調査と整備を行なってきました。 その過程でその都度、心を込めて供養をしていると、数百年・数千年前の方々と気持ちがつながっていくような気がすると言います。 お参りする側の供養の想いを届けると返ってくる、ということを実感としているそうです。 「これだけは供えてほしい」「手を合わせてくれるだけでいい」など、自分の死後、遺された人がお参りしやすいように、生きているうちにコミュニケーションしておくことも双方向の供養のためには大切ですね、とお話がありました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「こんな供養は○○だ!」
坊コン
2014-12-13
2014年12月10日(水)、寺ネット・サンガ主催の「坊コン」が開催されました。今回は新しいテーマ「『こんな供養は〇〇だ!』クヨクヨしない供養」についてです。 ○供養コンシェルジェが語る「供養の悩み」 長年、供養の現場に携わってきた「供養コンシェルジェ」の佐藤清美さん。供養コンシェルジェとして、時にはお坊さんと協力しながら、相談する方が「これでいいんだ」と納得する方法を提案してきました。 供養に関して、「誰に聞けばよいのかわからない」と悩む人が増えているそうです。実際に一般の方々から寄せられた相談から、供養に関する悩みや問題点について語ってもらいました。 ・供養 ・宗教・無宗教 ・位牌・仏壇 ・行事 ・お墓 ・死生観 嫁いだ先の宗教・宗派が違うなど、家庭事情による悩みが多いそうです。宗教や宗派が違う場合、お墓やお仏壇をどうしたら良いか困ってしまう方がいます。 お盆をどう過ごしたらわからず、「お盆はやらなくてはならないのか」といった相談も寄せられるそうです。 お骨の供養に関して、散骨や手元供養など、多様化している供養の方法にも悩むケースもあります。本人の希望であっても、家族や親族が納得しない場合もあり、亡くなってから双方の希望を一致させるのは大変です。 お位牌が二つになると「魂が割れてしまうのでは?」、あるいは「また一緒になれますか?」など、死生観に関する相談も寄せられるそうです。
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仏教ひとまわりツアー 各宗派本山めぐり「總持寺」
仏教ひとまわりツアー
2014-11-05
2014年11月1日(土)、寺ネット・サンガ主催「仏教ひとまわりツアー」が開催されました。「修行僧の毎日」に焦点をあてた全4回ツアー「各宗派本山めぐり」も、いよいよ最終回となりました。今回は横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山總持寺です。 はじめに總持寺の本山布教教化部の蔵重宏昭老師から、お寺のご縁起や曹洞宗について、修行の要である「坐禅」についてのお話を伺いました。 修行僧(雲水)の毎日は、坐禅に始まり、坐禅に終わります。日々のスケジュールは「清規(しんぎ)」と呼ばれ、新米のお坊さんも、えらいお坊さんも同じ日程で生活しているそうです。 ※修行僧のスケジュールについては、前回の「坊コン」にて正山寺ご住職、前田宥全さんの「禅の生活」でお話を伺っています→http://www.eijuin.jp/News/view/9/508 ○調身・調息・調心(ちょうしん・ちょうそく・ちょうしん)ー生活をととのえるー 「調身・調息・調心」=身をととのえ、呼吸をととのえ、心をととのえることの大切さについてお話がありました。 人間の身でありながら仏であり続けられたお方、お釈迦さまは坐禅によってお悟りを開かれました。曹洞宗では「私たちも及ばずながらお釈迦さまの真似していきましょう」という心で、坐禅の修行を大切にしているそうです。 世の中は「縁起」しており、お互いがお互いにかかわりあって調和しています。ところが私たちの心の中には「無明(むみょう)」と呼ばれる根本的な煩悩があり、油断するとわがまま心が出てきます。「私が、私が」という心を抑えて、調和する生活を送るために、日常生活をととのえることは大切なことです。 日々の繰り返しの中で、人は怠け心が出てきます。お互いに注意し合い、励まし合って、生活をととのえる中心となるのが坐禅です。 ○基本姿勢は「精進(しょうじん)」=精にして雑ならず、進んで退かず 「精進」=精にして雑ならず、進んで退かずとは、「積極的な気持ちで、ひとつひとつのことを丁寧にやっていくこと」です。作法が細かく決まっているのは、ひとつひとつのことを丁寧に行なう「精進」の心を大切にしているからだそうです。 また、「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」という言葉についてもお話がありました。「喫茶喫飯」の言葉には、食事の時は食事のことだけをする、というシンプルな教えが含まれています。日々、その時その時のことをきちんと丁寧にやっていくことで、いざという時に行動に移すことができます。丁寧に物事をこなすことで、人に対しても、きめこまやかな対応ができるようになります。 「丁寧に、その時その時をきちっとやっていくことが、本物の思いやり(=慈悲)につながるのではないでしょうか」と、お坊さんからのお話がありました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「第6回お坊さんあるある!」
坊コン
2014-10-01
2014年9月29日(月)、寺ネット・サンガ主催の「坊コン」「第6回お坊さんあるある!」が開催されました。思わずお坊さんたちが「あるある!」と頷いてしまうことをテーマに、お坊さんたちの日常に迫る大好評シリーズです。 第6回目のお坊さんは、港区曹洞宗正山寺ご住職、前田宥全さんです。 前田さんの「お坊さんあるあるー!」という元気の良い掛け声で、プチ法話が始まりました。 ○お坊さんあるある! その1「女子高生が・・・」 お盆の頃、前田さんがお盆のお経参りをしていた際、二人の女子高生に二度見されたそうです。そして聞こえてきた声が、「まじ? またいた〜!」。 どうやらお盆期間中、女子高生たちはお坊さんたちを何人か見ていて、「またいた!」と話題になってしまったようです。 ○お坊さんあるある! その2「地下鉄で・・・」 知らない男性に声を掛けられた前田さん。 「お前は地獄に堕ちている」と言われたそうです。 そこで前田さんは「私が地獄に堕ちているって本当でしょうか?」ときいてみたところ、男性は「そうだ」と言います。 すかさず「地獄に堕ちている私と話しているあなたは、今どこにいるのですか?」と返したところ、男性は次の駅で下車していったそうです。 禅僧らしい受け答えに「坊コン」に参加していたお坊さんたちも頷いていました。 お坊さんならではの「あるある!」です。
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仏教ひとまわりツアー 各宗派本山めぐり「増上寺」
仏教ひとまわりツアー
2014-09-01
2014年8月30日(土)、寺ネット・サンガ主催「仏教ひとまわりツアー」が開催されました。 各宗派の大本山をめぐりながら、「修行僧の毎日」に焦点をあてた「仏教ひとまわりツアー」。第3回目のお寺は、東京タワーの近く、徳川家の菩提寺としても知られる浄土宗大本山「増上寺」です。 当日は40名以上の参加者が集まり、賑やかなツアーとなりました。 増上寺のお坊さんから、境内の案内を兼ねて「修行僧の毎日」についてお話を伺いました。 ○浄土宗とは 鎌倉時代、政権争いの他、飢饉や疫病などの天災によって、人々は不安の中暮らしていました。僧侶たちは権力者と結びつき、貧しい庶民は救われることなく、すがるものもありませんでした。 比叡山では「智恵第一の法然房」と称されるほど、勉強熱心であった法然上人は、皆が平等に救われる道を求めます。法然上人は『一切経』の中から、阿弥陀様の御本願四十八願のうち、第十八番目にすべての人々が平等に救われる道を見いだしました。 法然上人のお言葉に、「智者(ちしゃ)のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」とあるそうです。自身の至らなさを自覚(愚者の自覚)し、「こんな私ですが、どうぞお救い下さい」とお念仏を一心にお称えして阿弥陀様に救いとって頂き、西方極楽浄土に生まれることを願います。 浄土宗のお坊さんの修行の基本は、一心に「南無阿弥陀仏」とお称えすることだそうです。 お念仏の「南無」の部分は「帰依します」という意味で、お坊さんたちは節をつけて、ひたすらお称えします。 本日も移動中の廊下では、修行しているお坊さんのお念仏の声が、絶え間なく聞こえていました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「第5回お坊さんあるある!」
坊コン
2014-07-30
2014年7月28日(月)、寺ネット・サンガ「坊コン」が開催されました。「お坊さんあるある!第5回目」は、大阪にある真言宗の興徳寺のご住職、青木隆興さんのお話です。 前日、青木さんは傾聴ボランティアのため飛行機で大阪~宮城を日帰りで往復、28日は大阪で月参りの後、3時新大阪発の新幹線に乗って東京の「坊コン」会場に到着したそうです。 多忙なスケジュールをこなす青木さん。普段はどんな日常生活を送っているのでしょう。 青木さんのお寺では年に三回の大きな行事の他に、毎月全部の檀家さんの家でおつとめをする「月参り」があるそうです。 関東では馴染みの薄い「月参り」について、お話を伺いました。 ○月参り(つきまいり) 月命日に毎月お坊さんがお宅にお参りすることを「月参り」と言います。例えば28日が命日の場合、毎月28日に檀家さんのお宅にお坊さんがお参りに伺います。 関西では月参りが盛んで、青木さんは毎日数件のお檀家さんを訪問するそうです。 毎月決まった日にお参りに伺うので、月参りの日は檀家さんも仕事を休みにするなど調整しているケースもあるそうです。中にはお経を読んでいる最中にペットの犬がずっと吠えるので、月参りの日は犬のトリミングの日と決めている檀家さんもいらっしゃるとのこと。 「月参り」の馴染みのない地域では、興味深いお話です。 ○校区の中に約五十ヶ寺ある寺町で 大阪の興徳寺は、寺町にあります。小学校の校区内だけでも約五十ヶ寺もあるそうです。 そのため、青木さんが自転車に乗って移動していると、「ご苦労さん」と気軽に声をかけられることもしばしば。 優しい言葉もあれば、厳しい言葉をかけられることもあります。 青木さんが自転車で去る時に、生活困窮者から「神も仏もあるかい!」と言われたというエピソードもうかがいました。 東京よりも人々が気軽に声を掛け合う環境が大阪にはある、と言います。 ○子どもたちからの質問 小学校の校区の中にあるお寺ということで、職業を知るために、子どもたちが興徳寺へ訪れることがあります。その時、子どもたちから「なぜお賽銭をするのか?」という質問が出たそうです。 お賽銭は「お布施」の一種ですが、現代のお布施は「お金で払うもの」という感覚が強くなっています。 自分の大切なものを捧げて、仏さまのお力を頂くというのが本来の「お布施」の意味。 お坊さんは袈裟をまとっていますが、古くは「糞掃衣(ふんぞえ)」といって、汚くなったボロ切れを人々に施してもらって、つぎはぎにして作ったのが始まりと言います。そこで「布」を「施す」と書いて「布施」というそうです。 「お金がないとお布施ができないのか?」という問題について、青木さんからお話がありました。
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仏教ひとまわりツアー 各宗派本山めぐり「川崎大師」
仏教ひとまわりツアー
2014-07-01
2014年6月28日(土)梅雨空の中、寺ネット・サンガ主催「仏教ひとまわりツアー」が開催されました。 各宗派の大本山をめぐりながら、「修行僧の毎日」に焦点をあてたツアーです。 第2回目は、川崎の真言宗大本山「川崎大師平間寺」です。 真言宗智山派大本山「金剛山金乗院平間寺」は、広く「川崎大師」の名称で親しまれているお寺です。 お正月には約300万人の人が参拝に訪れるという「川崎大師」。 お護摩修行には、ツアー参加者の他にもたくさんの方々が参拝に訪れていました。 お護摩の修行時間は、川崎大師のホームページでご確認頂けます。 ○お護摩の修行 護摩壇の周囲に、香華や五穀、お供物をお供えし、導師が中央の炉の中に護摩木(ごまぎ)を焚いて、ご本尊・厄除弘法大師さまのご供養にはじまる秘法です。 燃え上がる炎に不動明王の剣を象ったお護摩札をかざし、煩悩を焼き、浄化することで家内安全、災厄消除、所願成就を祈願します。 その際、お大師さまのご宝号である「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」とお唱えします。 「仏教ひとまわりツアー」参加者たちは、迫力あるお護摩の修行に圧倒されながら、ご本尊の弘法大師空海上人の御尊像に手を合わせました。
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「坊コン」「第4回お坊さんあるある!」
坊コン
2014-05-10
2014年5月8日(木)、寺ネット・サンガ「坊コン」が開催されました。 「お坊さんあるある!」では、お坊さんたちが思わず「あるある!」と頷いてしまうエピソードを伺っています。 今回お話いただいたのは、千葉県流山市にある真言宗豊山派、円東寺のご住職の増田俊康さんです。 増田さんはマジックやジャグリング、バルーンアートなど大道芸の特技を活かし、近隣の老人ホームや幼稚園、各種イベントで活動なさっています。今回のプチ法話では、手品を交えながら楽しくお話いただきました。 ○心の中をうつしだす不思議なファイル 増田さんが一冊のファイルを取り出しました。「心の中をうつしだす不思議なファイル」なのだそうです。 ペラペラとページをめくると、ため息をついたり、泣いたり怒ったりしている人の表情が描かれています。不平不満だらけの世界です。 真言宗のお経の中の『般若理趣経』(はんにゃりしゅきょう)には、「如蓮體本染 不爲垢所染 」(じょうれんていほんぜん ふいこうそうせん)とあります。蓮は泥の中に身をおいているのに、咲いた花に泥が混じることがないことを示しています。 悪いものに染まらず、良いものを選び取って美しく咲く蓮の花は、仏さまの象徴でもあります。 私たちも、泥のような世界にあっても悪いものに染まらず、まわりの人の心をやすらかにする蓮の花のような存在を目指すことで、仏さまの世界に近づくことができます。 増田さんが蓮の花びらをかたどったピンク色の散華(さんげ)を取り出しました。 「これを心の中をうつしだす不思議なファイルに入れると……」とファイルに散華をはさみ、再びページをめくります。すると、どうでしょう。 先ほどの泣いたり怒ったりしている絵は、きれいな蓮の花がひらく絵に変わっています。散華の花びらによって「心の中をうつしだすファイル」にやすらかな世界が再現され、大きな拍手が起りました。 ○お坊さんって本当に悟りをひらいているの? 「本当に法力を持っているの?」と子どもたちに質問されて、「超能力ならあるよ」と手品を披露して喜ばせる増田さん。 大人たちも、増田さんの人柄に心を開いて率直な質問をなさるそうです。 「実際のところ悟りってひらいてるの?」「悟りの方法ってどこかに書いてあるんじゃないの? 内緒にしないで教えてよ」。 増田さんは、「空海上人が本に書いてらっしゃいます」と答えるそうです。 「即身成仏」、すなわち悟りを得て仏になる方法を、空海上人は『即身成仏義』の中で記されています。増田さんがわかりやすく説明してくださいました。 「重重帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名づく」という言葉があります。「帝網(たいもう)」とは帝釈天さまの「網(あみ)」の意です。帝釈天さまは宮殿のようなお住まいにいらっしゃって、内も外もイルミネーションのようにキラキラ光輝く網があります。これらのキラキラしている網が、「重重」と重なっている様子をイメージしてください。 これが世の中であり、キラキラ輝いている世の中であるということに気がつく事が「即身成仏」ということです。
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仏教ひとまわりツアー 第5段 各宗派本山めぐり
仏教ひとまわりツアー
2014-04-21
2014年4月19日(土)、寺ネット・サンガ「仏教ひとまわりツアー」が開催されました。 各宗派の大本山をめぐりながら、「修行僧の毎日」に焦点をあてたツアーです。 第1回目は、大田区池上の日蓮宗大本山「池上本門寺」です。 ○池上本門寺とは 今から約730年前の弘安5年(1282)9月、身延山で体調を崩された日蓮聖人が、病気療養のために常陸の国へ向かう道中、郷主であった池上宗仲公のお屋敷にお寄りになりました。 同年10月13日辰の刻、日蓮聖人は61歳で御入滅なさいました。 池上宗仲公は『法華経』の全文字数69384文字に合わせて、約七万坪の土地を寄進し、「池上本門寺」の礎が築かれます。以来「日蓮聖人ご入滅の霊場」として、730年の歴史を守り続けています。 大堂にて御開帳と御祈願を受けました。 大堂は祖師堂とも呼ばれ、日蓮聖人の御尊像が奉安されています。 日蓮聖人七回忌の際にお弟子さんたちによって建立され、日蓮聖人の生前のお姿に近いと伝わっています。 御尊像のお手に持っている払子(ほっす)は黒い色をしています。 日蓮聖人は大変お母様思いで、お母様の髪の毛を生前は常に身につけていたそうです。御入滅の直前、お母様の髪の毛と一緒に荼毘にふすようにと御遺言があったそうですが、あまりに忍びないということで、払子にして御尊像にお持たせたそうです。「孝道示現のご尊像」と呼ばれる由来でもあります。 御尊像の御衣は年に2回、春の千部会(せんぶえ)と秋のお会式(おえしき)の際にお召し替えします。 日蓮聖人御入滅の日に合わせて行なわれるお会式には、全国から約3万人もの人が参詣します。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「お坊さんあるある!」
坊コン
2014-04-07
2014年3月31日(月)、寺ネット・サンガ「坊コン」が行なわれました。 お坊さんたちが、思わず「あるある!」と頷いてしまうようなお話をお聞きしながら、お坊さんたちの日常を知るシリーズです。 今回「お坊さんあるある!」をお話いただいたのは、大田区池上、永寿院の吉田尚英住職です。 ○「お坊さんが思わず合掌してしまった瞬間とは?」 吉田さんが思わず合掌してしまった瞬間を、9つの項目にまとめてお話いただきました。各項目にまつわるエピソードや、意外な出来事を語ってくださいました。 1、お布施を受け取るとき 2、偉い人に挨拶するとき 3、食事をするとき 4、願い事をするとき 5、子は親の鏡 6、神社や教会で 7、逃げたいとき 8、被災地で 9、相手の仏が見えたとき 5の「子は親の鏡」では、こんなエピソードがあったそうです。 吉田さんがお子さんが小さいころお堂の前でお参りした時のこと。片手はお子さんと手をつないでいたため、片手で合掌のような形をとることもありました。後日、お子さんが片手をあげて合掌の所作をしているのを見て、子は親の鏡だなと感じ、合掌は形だけではいけないなと反省したそうです。 6の「神社や教会で」の項目では、神さまに合掌? と不思議な気もします。宗派によって違いがあるそうですが、吉田さんは神社や教会など、どこへ行っても仏教の信仰する人を守る神様(守護神)として合掌するいるそうです。 7、8の項目に関して、つらいことや悲しいことに直面した時、追いつめられた時も思わず合掌してしまいます。亡き人への想いであったり、真剣に命に向き合う姿があります。 ○合掌とは? 『合掌の物語』エピソード募集のリーフレットが配られました。リーフレットには、『法華経』の「常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさっぽん)第二十」について書かれています。 「不軽」という文字には、他者を軽んじないという意味が込められてます。 相手を敬い、他者の中に仏さまを見い出して、仏さまによって生かされている「いのち」に合掌をすることが基本とあります。 「相手とわかり合おう、分かち合おうという気持ちで合掌することで、自分の中の仏さまが磨かれます」と吉田さんはむすびました。
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番外編「東京ジャーミイ訪問ツアー」
その他
2014-04-07
2014年3月15日(土)寺ネット・サンガ代表の中下大樹さん企画による「東京ジャーミイ訪問ツアー」が行なわれました。約30人の参加者たちは代々木上原駅に待ち合わせ、「東京モスク」と日本でも親しまれている「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」に向かいます。 モスクはオスマントルコ様式で、1938年に建設されました。老朽化に伴い2000年に建て直されたそうです。 内装から外装までほとんどトルコから運ばれた資材を用いたという、青空に良く映える白い美しい建物です。 モスクに到着し、定例の「イスラーム入門講座」を受講しました。 日本人ムスリム・前野直樹さんからお話を伺います。 ○「40のハディース解説」第2回(第3の伝承)「イスラームの土台は五つの柱♪」 「六信五行」のイスラーム五行について詳しくお伺いしました。 五つの行いは、建物の五つの柱と喩えられており、大切なことなのだそうです。 五行・・・信仰告白(シャハーダ)・礼拝(サラー)・喜捨(ザカー)・断食・メッカ巡礼 五行は建物と同時に大樹にも喩えられるそうです。 唯一神のアッラーを意識しながら日々実践し、「心への水やりを忘れない」ことが大切というお話でした。 ○「40のハディース解説」第2回(第4の伝承)「運命を信じ、前向きに生きよう♪」 ハディースと呼ばれる言行録から「運命/宿命」をテーマについて、少し難しいお話に入りました。 レジュメには「運命は『予知』に基づき、自由意志による選択を追認して真実となる」とあります。 もし自分の自由意志によって間違った行ないをしたならば反省をし、よい選択を行なって結果が実ったならば、アッラーの恩恵と感謝します。 日々小さな実践によって信仰心を培っていくことの大切さを学びました。
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寺ネット・サンガ「坊コン」「お坊さんあるある!」
坊コン
2014-04-05
2014年2月25日、寺ネット・サンガ「坊コン」が行なわれました。お坊さんが思わず「あるある!」と頷いてしまうようなお話を伺います。 本日のプチ法話は、八王子市延立寺のご住職、松本智量さんです。 ○予定は未定 急な用事が入ることが多いお坊さん。チケットの前売り券は買わず、旅行も急に中止になることを常に念頭に置いているそうです。 いつも「予定は未定」と語る松本さんは、先日雪の影響で交通機関が乱れた際、多くの方が怒っているのを知ってこんなことを考えたそうです。 自分の予定が絶対のものであると思っていると、予定通りにいかなかった時に何者かに侵害されたように感じ、被害者意識を持ってしまうこともあるのではないでしょうか。 そのことで、恨まなくてもいい人を恨んでしまうかもしれません。 ○思いのままにならない命を、私たちは生きている 日本人の平均寿命の80歳とされます。ほとんどの人は、自分はだいたいあと何年、何十年生きるだろうと「予定」を立てて生きています。 ところが、事故や病気など命が尽きる瞬間は、自分の都合を超えたところにあるのです。 自分の都合を離れてやって来る「死」さえ、私たちはコントロールしたいと願います。 「生老病死」という言葉の中で、「生」の文字から「自分の思い通りに姿に生まれなかった」という意味を知る時、同時に「思いのままにならない命を、私たちは生きている」ということを知ります。 予定や「こうであるべき」という理想に対してこだわりが強すぎると、知らない間に自分の鎖で自分を縛っているかもしれません。 ○コントロールしない 先日、松本さんが公道の脇に雪を除けていた時のことです。「お坊さんはみんな自分をいい人だと思っている」と語る松本さんは、この時も「一人で雪を除けた自分っていい人!」と思っていたそうです。 ふと、近所の方が声をかけてきました。きっと感謝の言葉かなと思ったところ……「そこに雪を置かないでくれる?」 これは意外な反応でした。一瞬、松本さんは怒りを感じたそうです。 すぐに「こういう方もいらっしゃる」と気持ちを切り替えました。自分のコントロールの範囲外であることを受け入れ、怒りの感情に捕われずに過ごすことができたそうです。 他人に対しても「この人はきっとこう言ってくれるだろう」と自分でコントロールしようとすると、異なる反応が返ってきた時に怒りや恨みが生まれます。 コントロールしないほうがラクなこともあるのではないでしょうか、と松本さんは語りました。
寺ネット・サンガのイベント
「坊コン」
オフィス街でお坊さんとコン談!コン親!コンパ!急な参加も歓迎!定番人気の仏教入門イベントです。
「仏教ひとまわりツアー」
お坊さんたちと一緒に仏教ワクワク体験イベント!宗派宗教を超えて、次はいずこへひとまわり?
「その他の特別イベント」
番外編の特別イベントです。楽しんでいただけたかな?またの機会をお楽しみに!